「卒業」を観る

 昨日は「バードマン」の後、夜中にマイク・ニコルズ監督「卒業」を観た。
 Twitterではこんなことをつぶやいてる。

やっぱり夜中にマイク・ニコルズの「卒業」観た。実は一度も観てなかった。この映画、日本じゃ青春映画の傑作扱いだけど、絶対コメディだと思う。しかもかなり戯画化されてる。ラストの花嫁強奪シーンのインパクトだけが突出しちゃったんだろうな。主役はアン・バンクロフトであることは自明。

卒業 [DVD]

卒業 [DVD]

  • 発売日: 2012/04/13
  • メディア: DVD
卒業 (1967年の映画) - Wikipedia
 そうなのである。ニューシネマの傑作にして永遠の青春映画「卒業」を実は一度も観ていなかった。なぜだろうね、観る機会はいくらでもあったはずなのに。ダスティン・ホフマンはこの映画の2年後の1969年には「真夜中のカーボーイ」「ジョンとメリー」に出演、さらにその翌年の1970年には大作「小さな巨人」にも出演する。アメリカを代表する人気俳優は実質この映画がデビュー作だった。
 そしてヒロインのキャサリン・ロスもまた1969年に「明日に向かって撃て」に出演、一躍アイドル的人気を得た。
 そういう記念碑的映画なのに、ずっと見逃してきた。なぜだろう。あのあまりにも有名な花嫁強奪シーンにどこか引いちゃう部分もあったのかもしれない。もっとも中年になってからは意図的に避けてきた部分もあるかもしれない。もうこの手の青春映画を享受する感受性は多分ないだろうからというところである。
 そして還暦を前にして初めて観た感想はというと、まあツィートしたとおりであるが、この映画は徹底的にデフォルメ化、カテゴライズされた喜劇である。当時のアメリカの金持ち階級の俗っぽさや有閑マダム、優等生の男の子と純なお嬢さん。あまりにも見事な典型、類型化である。男の子を誘惑するアンバンクロフトの演技も本当に類型そのもので笑っちゃう。彼女もこのシナリオ見せられて笑っちゃったんじゃないかなと思う。シチュエーションコメディだったんじゃないのかなと思えたりもする。
 かくも類型的な映画を作ってしまった舞台上がりの名匠(まだ当時は新進気鋭だったかな)マイク・ニコルズが仕掛けたワナはといえば、多分ラストシーンなんだろうな。花嫁強奪の後、教会から逃走した若いカップルはバスに乗る。二人はふいに真顔になる。お互いに駆け落ちの高揚から一瞬素に戻って、「どうするこれから」という風になる。そういう心象風景を一瞬だけ描いて、サイモン&ガーファンクルの名曲とともにクレジットである。ここが総てだったのかも。繁栄を続けてきた50年代から60年代初期までのアメリカン・ドリームの終焉。それをかくも凡庸かつステレオタイプなシチュエーションコメディにして、最後のワンカットでもうこういうのは終わりじゃけんねと表現する。ある意味悪趣味な映画かもしれない。
 そういう映画をあの花嫁強奪シーンから永遠の青春映画に印象づけてしまった。つまりはそういう映画なんじゃないかと、人生にくたびれかけたジイさんは思ってしまったりもするのだ。