通夜に行く

 暮れになくなった方のお通夜に行ってきた。小さな家族葬向けの葬儀所だった。家族葬は最近の流行だというが、聞けば年末年始は意外と不幸が多く、葬祭場もなかなか取ることができないのだとか。まあ正月だと、焼き場、僧侶、すんなりと押さえるのも難しいのだろう。参列者は近親者を除けば、故人の会社関係の方がやはり多かった。故人と同様にすでに引退されて何年にもなる方も多く、さながら同窓会的な雰囲気もあったのはこうした葬儀にあってはまあ普通のことだろう。
 前回も少し触れたが、故人には仕事の面では大変お世話になった。手取足取り教えてもらた訳ではないが、仕事のやり方、システム運営等についてのアウトラインはだいたいこの方に教えていただいた。強面のタイプで怒られることもたまにはあった。普段はさっぱりとした気質の人なのだが、いったんスィッチがはいると怒りを持続され、納得できる説明がないといつまでも詰問をやめなかった。
 もう10年以上前のことだとおもうが、仕事納めの日に何かトラブルがあり、そのことで電話で叱責を受けた。原因はシステム上の瑕疵に人為的ミスがくっういたようなものだったが、そのときは多分2時間くらい電話で話しをした。まあその間、ある意味ずっと怒られ続けたようなものだ。今となってはまあそういうこともあったと片付けられるが、そのときは当然のごとくしんどかった。
 酒は毎晩のように飲む人だったが、大勢の飲むのを好まない方でもあった。仕事の後、毎日のように飲んでいたようだがたいていの場合、一人で静かに飲む酒だった。ある時期、ちょうど新しい仕事の立ち上げの頃だったか、自分と、自分の直属の上司とその方との三人で、毎晩のように飲むということもあった。いずれも酒好きということもあり、そのときにはよく三人で焼酎を一升以上飲むことがざらだった。もう20年も前のことになる。
 最後にお顔を見て、死ぬ装束特有の様相を別にすれば、随分と頬がこけ痩せた印象だった。もうこの人と話をすることも、酒を飲むこともないのだなと思うと、無性に淋しい気持ちになった。