立川のオリオン書房へ行く

午前中は娘の塾の進学説明会で大宮へ。私立超難関校対策やら夏の学習についてなど、まあそれなりに有益な情報をいろいろと。とはいえ親がいくら前向きになっても、当の子どものモチベーションがあがらないことには。
その後は埼京線武蔵野線、中央線と乗り継いで立川まで出向く。なんかすでに小旅行モードである。なぜに立川へ。オリオン書房岩波書店の社長の講演会があるから。酔狂といえば酔狂だが、老舗出版社の社長の話なんて、そうめったには聞くこともないだろうしということもありということで。
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1時間長お話されていたが、印象としてはなんか社長さんというよりも学者さんという感じである。理路整然と論をすすめるという風ではなく、断片的なエピソードをたんたんと語っていくみたい。興味深かったのは、所謂岩波文化人にも幾つかの系統があるみたいなお話。岩波文化人ていうと、今の2chn的には左翼偏向文化人みたいな捉えかたされちゃうのだろうが、この場合はもっと歴史的というか由緒正しいもの。
お話された岩波文化人とは、初期の岩波の著者の系譜とでもいうべきものなのだろうが、それは第一には漱石門下。これは小宮豊隆鈴木三重吉森田草平内田百間野上弥生子寺田寅彦、阿部次郎、安倍能成などなど。もともと創業者の岩波茂雄漱石の門下生みたいなものだし、処女出版が「こころ」だったりもするわけなので、夏目漱石は岩波文化のメインストリームということになるのだろう。実際、初期の岩波文庫のラインナップなんていうのは、カーライルだのジェイムズだのいかにも漱石の影響化にある翻訳文化が数多あったようにも思う。
この漱石門下に次ぐものとして、社長さんのお話では鴎外門下、あるいは森鴎外の影響化にある人々として斎藤茂吉とかをあげられていた。漱石門下というのはつとに有名ではあるのだが、鴎外は特に弟子をとったりとかはあまり聞いたことがない。ウィキペディアの記述とかでいえば、歌会とかを頻繁に開いていたというので、けっこう歌人とかが鴎外の影響化にあったのかもとも思う。たぶん伊藤左千夫、佐々木信綱、木下杢太郎あたりが鴎外のフォロワーということになるのだろうか。斎藤茂吉はたしか佐々木信綱のひきでその周辺にいたとかそういうことになるんだろう。
話を進める。岩波文化の第三番目は東大の自由主義的な知識人グループ。これは大正デモクラシーの支柱にいた吉野作造あたりを祖とする流れで、その系譜には戦後全面講和の論壇をはった南原繁等がつらなる。
さらに関西の京大学派は西田幾多郎を中心に田辺元波多野精一上田閑照などなどがいる。
そうやってあげられると、岩波文化とはなるほど戦前戦後のリベラル文化を体現し続けてきたのだなと思わざるを得ない。とはいえ、いかんせん古い、まさしく歴史そのものといわざるを得ない。岩波は来年100年を迎えるというのだが、ある部分日本近現代史のまさしくリベラルな潮流を支えてきたという歴史的事実はあるにせよ、さて21世紀の現在において、その意義はとなるといろいろつっこみが入りそうである。
まあ一般論として、企業が100年も続くことはなかなかにはない。よくも悪くも会社にも寿命があるともいわれるところだ。岩波書店や岩波によって紡がれてきた日本の出版文化が次の100年を生き残ることができるかどうか。いやそれ以前に出版文化自体がどんどん変質していってしまうかもしれないし。
まあいいや、どうせ100年どころか、10年先だって生きているかどうかもしれないロートルな世代なわけなんでね。