妻の状況(2/21)

 弁護士との相談を終えた後、しばし神保町を散策。本当に久しぶりにこの本の街を歩く。すでに4時を回っていたが、まだ昼食を食べていなかったので、これも久しぶりにいもやのとんかつを食す。なんだか以前に比べると肉が薄くなっているような印象。でも、それなりにうまかった。
 医療センターへ着いたのは5時過ぎくらいだった。妻はベッドに寝て看護師と話をしていた。そのままベッドで寝ている妻としばらく話をした。弁護士に会ったこと。労災申請を前向きに考えていることなどなど。
 近いうちに国リハに戻って再びリハビリを続けることになる。その時の目的をそろそろはっきりさせたいとも思っていたし、折から読んでいる大川弥生の『新しいリハビリテーション』にあるようなリハビリの方向性を形成する患者の真の希望みたいなものを、なんとなく妻に話してきかせた。そのうえで妻に家に帰ったら何をやりたいのかを問うてみた。でも、妻からはある程度予測はしていたけれど、消極的にな言葉ばかりだった。「何をやりたいかっていっても、何にも出来ないよ。こんな体じゃ」
 妻の病状や心理状態からすれば、確かにそのとおりなのだが、そんな心のままでリハビリを行っても多分効果はあがらないだろうし、家に帰ってもたぶん寝たきりでテレビをつけっぱなしにしているような生活になってしまうのだろう。障害は障害として受容したうえで、妻なりの生きがいを彼女が見つけてくれないことには、どうしようもないのだと思う。そのために私にしろ娘にしろ、家族が協力していかなくてはならないのだろう。

 患者さんが手足の機能回復だけに目がいきがちなのは、それが具体的にわかるものだからですが、もう一つ、患者さんは、体が不自由になったショックや悩みから、自分の生活や人生の希望を思い描く心の余裕がないからでもあります。「退院後、私はこうしたい」と、はじめから自分の希望をいえる患者さんはむしろ例外です。
 ある意味で「お先真っ暗」と感じている患者さんと話し合い、その中から「これが本当にしたいことだ」という真の希望を患者さんと共に見つけるのもリハビリテーションの大事な仕事なのです。

 さて、これまで「患者さんの希望」とひとこで言ってきましたが、リハビリテーションで大事なのは、患者さんが単に「こうしてほしい」という「表現された希望」ではなく、患者さんが自分の生活・人生を深く考えて導き出した「真の希望」です。専門的には前者を「デマンド(要望)」、後者を「ニーズ(必要)」と言います。「真の希望」とは、それが満たされることによって患者さんの生活・人生が最も満足できるものになる中心的な目標のことです。

 こうした妻のニーズ、「真の希望」を一緒に考えていかなくてはならないのだと思う。
 7時前にトイレ介助をし、紙オムツを替えてから娘のお迎えもあり病院を後にした。妻は丸一日以上オムツを替えてもらえていなかったようで、1〜2回はそこに小水をしたようだった。替える時にかなりのアンモニア臭があった。それで蒸タオルを水で冷やしてから丁寧に拭いてあげた。でもなかなか臭いは抜けないようだった。
 こうした患者の面倒をみるという点ではやはり国際医療センターはかなりずさんというか、手抜き状態だ。それだけ看護師の員数が足りていないということもあるのだろう。でも、どうもそれだけはない何か、国家公務員としての彼女たちの看護師の資質の部分にもどことなく問題があるのではないかという気もしないでもない。
 紙オムツの取替えにしろ、患者の着替えにしろ、衛生面のうえからも医療行為として必要な部分がある。それらを人手不足だからということでおざなりにしているのは、もちろん看護師だけの問題ではなく、やはり病院全体の医療体制の問題ということなんだろうなとも思う。とにかく医療センターはなんか病院が普通もっているような清潔感とは無縁な感じがするのである。