埼玉県立近代美術館「ボイス+パレルモ」

 昨日、妻のワクチン接種のあと、午前中から動いているのでどこかへ行こうと言われる。ワクチンだし、大人しくしてた方がいいと言ったのだが、お出かけ欲求に負けた。台風なのだが、昼過ぎには雨も上がるという天気予報を信じて北浦和の埼玉県近代美術館へ行くことにした。

 午前中ずっと雨だったので、当然のごとく北浦和公園には人が誰もいない。美術館の中も日曜日だというのにガラガラである。そしてやっていたのがこれ。

2021.7.10 - 9.5 ボイス+パレルモ - 埼玉県立近代美術館

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 ヨーゼフ・ボイスとその弟子筋のブリスキー・パレルモの回顧展。

 ヨーゼフ・ボイスって誰よ?
 縦長の28ページもあるパンフレットの冒頭にはこうある。

 第二次世界大戦以降の最も重要な芸術家のひとり、ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)。彼は「ほんとうの資本とは人の持つ創造性である」と語り、ひろく社会を彫刻ととらえ社会全体の変革を企てました。本展では60年代の最重要作品である《ユーラシアの杖》をはじめ、脂肪やフェルトを用いた作品、「アクション」の映像やドローイングなど、彼の作品の造形的な力と芸術的実践にあらためて着目します。

 まったく判らない。帰ってネットとかで調べる。

ヨーゼフ・ボイス - Wikipedia

  ジイさんにはまったくわからない。

 「ドイツの現代美術家・彫刻家・教育者・音楽家・社会活動家」ということらしいのだが、どうにもその全体像がつかめない。パフォーマンスと非定型もしくは可変化するような造形物がメインとなっているような人らしいのだけど。

 そこで判りやすく解説しているらしいYouTube動画とかも見てみるのだが。


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 しかし展示してあるもので、なんとなく一番ピンときそうなものでもこれだもの。

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『ユーラシアの杖』(ヨーゼフ・ボイス

 フェルトを巻いた4本の木材と1本の金属の棒。水平と垂直、秩序と無秩序などの二項対立概念を融和させることを意図した作品なんだとか。しかもユーラシアはヨーロッパとアジアを包摂する大陸という意味で、ボイスが目指した芸術理念を象徴しているのだとか。

 ジイさん、まったく理解不能。もうこれはブルース・リーではないけど「考えるな、感じろ」みたいな世界だ。

 さらにビデオで放映されているボイスのパフォーマンスがもう訳がわからない。

『死んだウサギに絵を説明するには』


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 昔、モンティ・パイソンに『死んだオウム』という笑かしのスケッチがあったけど、それを彷彿とさせる。

死んだオウム - Wikipedia


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 いや、死んだ動物で遊ぶっていうただそれだけのことなんだが。死んだウサギも死んだオウムもひょっとしたら西洋文明的にはなんらかのメタファーがあるのかもしれないけど、とりあえず生と死の対比、死んだモノを生きたモノのごとく扱うパフォーマンスとして括ることができるかもしれない。まあ正直にいうとブラックユーモアの類としてしか理解できないのではあるけれど。

 

 ボイスは戦時中、クリミア戦線で乗っていた爆撃機ソ連軍に撃墜され重傷を負う。そのときに遊牧民タタール人に救出され手厚い看護をうける。そのときの手当は体温が下がらないよに脂肪を塗られ、フェルトの布でくるまることだったという。ボイスの作り話という説もあるのだが、それが契機となってフェルトと脂肪はボイスにとって芸術上のアイデンティティとなり、作品の素材としてもたびたび用いられている。

 実際、展示作品の中にも帽子に詰まった脂肪とか、フェルトで作られたスーツとかがある。いずれも温度に関係しており、フェルトはその保温性、脂肪は温度によって形態を変えるということらしいのだが、まあぶっちゃっけ凡人の私には、やっぱりなんのこっちゃという感じではある。

 さらにボイスは社会活動家として、今ではドイツの一大勢力となっている緑の党の結成にも関与しているという。彼のいう「社会彫刻」とは、人間は自らの創造性によって社会福祉に寄与することができる。誰もが未来に向けて社会を創造する能力があり、またそれは義務でもあるというのだ。未来の創造=彫刻という形で、彫刻の概念を思い切り広げたということらしい。

 芸術と社会の関わりという点では素晴らしい概念のようにも思う。個人性、個人主義に立脚した芸術活動を社会活動に広げるという点でも評価できる。しかしあの難解な作品やパフォーマンスに大衆性があるのか、簡単にいって大衆の理解可能領域に入っていけるのかというといささか疑問に思わざるを得ない。

 今回の企画展は豊田市美術館埼玉県立近代美術館、国立新国際美術館の三館による持ち回り企画のようだ。

豊田市美術館    2021年4月3日~6月20日

埼玉県立近代美術館 2021年7月10日~9月5日

国立新国際美術館  2021年10月12日~2022年1月16日 

  現代美術へのアプローチという意味では、ずいぶんと攻めた企画だとは思うのだが、正直この企画展にはなんら大衆性がないというか、一般人にとっては意味があまり見いだせないような感じがした。実際、夏休みということもあって家族連れで観覧している人たちも何組かいたけど、みな早々に引き上げて行ったような印象がある。

 ぶっちゃけいうと難解過ぎる。企画展自体が「わかっている人」が「わかっている人」に観せるという感じになっている。そこには「ボイスって誰」、「パレルモって」という視点が完全に欠落している。「第二次世界大戦以降の最も重要な芸術家のひとり」と紹介されるヨーゼフ・ボイスの「重要性」が何一つ説明ないまま企画展が展開されてしまっている。

 「独りよがり」という言葉が頭をよぎるのだが、これはちょっと言い過ぎかもしれない。美術館には芸術教育という役割がある。抽象芸術や現代芸術についても、その意味性や創作者の意図、技術などについての説明が必要なのかもしれないと思ったりもする。時に、難解な作品をバーンと提示してどうだというのも、もちろんありだとは思うけど。

 というわけで繰り返しになるけど、この企画展の感想はやっぱりブルース・リー。あるいはフォースの力ということになるかもしれない。

「考えるな、感じろ」