歌舞伎を実際に観たのはかれこれ半世紀も前のことである。それ以来とんと縁のないままに来てしまった。でもその時のことをなぜか鮮明に覚えていたりもする。
今でも行われているのかどうかわからないが、1970年代には「高校生のための歌舞伎教室」が開かれ、歌舞伎の解説と一幕ものの舞台が国立劇場で行われていた。毎年、7月の夏休みの次期だったと思うが、学校から希望者を募り格安な料金(受講料)で歌舞伎を観ることができた。教育的な見地から国と歌舞伎界が一緒になって行われた催しなんだと思う。ウィキペディアにもこんな記述がある。
戦後の全盛期を迎えた1960年代から1970年代には次々と新しい動きが起こる。特に明治以降、軽視されがちだった歌舞伎本来の様式が重要だという認識が広がった。昭和40年(1965年)に芸能としての歌舞伎が重要無形文化財に指定され(保持者として伝統歌舞伎保存会の構成員を総合認定)、国立劇場が開場し、復活狂言の通し上演などの興行が成功する。国立劇場はさかんに高校生のための歌舞伎教室を開催して、数十年後の歌舞伎ファンの創出につとめた。
多分、料金は当時でも1000円くらいだったのだろうか。父親が古典芸能に多少知識があったので、よく歌舞伎や落語の話をしてくれたので、なんとなく身近に感じていたこともあったのだろう。国立劇場や歌舞伎座での実際の公演となると、料金は当時の高校生には手の出ない高額なものだったし、せっかくのチャンスということで高校1年、高校2年の連続に観に行った。
自分の通っていた高校は出来の悪い不良が多い学校だったし(自分も多分その一人である)、歌舞伎などに行く者は誰もいなかったので、2回とも申し込みは自分一人、三宅坂の国立劇場には一人で行った。1972年と1973年のことだったと思うので、自分は高校の1年、2年の時だった。高3の時に行かなかったのは、教室自体が開かれなかったのか、受験もあって行くのをやめたのか今となっては定かではない。
2回ともややどんよりと曇った天気だったので、おそらく7月とはいえ夏休みに入る前の梅雨が明ける前だったのかもしれない。その教室は国立劇場の大ホールで行われ、多分都内を中心に首都圏近郊から高校生が集まってきていて、席はけっこう埋まっていたように覚えている。
第一部は歌舞伎の基礎知識をわかりやすく解説することになっていて、いずれの年も解説したのは十代目岩井半四郎だった。この人についても父から話を聞いていてある程度の知識を得ていたが、映画やテレビなどにも出演するマルチに活躍する歌舞伎役者の走りだった。さらにいえばこの人の娘は仁科明子で清純派女優として人気があり、後に松方弘樹と結婚したが離婚。結婚中に若くしてガンを罹患したことなども、ある程度の年齢の者だと記憶しているかもしれない。
岩井半四郎の軽妙で洒脱な解説は高校生の自分にもスーッと入ってくる判りやすいものだった。
すでに50年近い前の記憶だが演目は『義経千本桜』と『毛抜き』だったはずだ。試みに歌舞伎公演データベースというサイトで検索してみるとすぐにヒットして、ちょっと嬉しくなった。
第六回高校生のための歌舞伎教室(大劇場) 1972年7月
昼夜同 1 お話=歌舞伎のみかた 解説:岩井半四郎(十代目)
昼夜同 2 義経千本桜伏見稲荷鳥居前〜河連法眼館
配役
佐藤四郎兵衛忠信実は源九郎狐・佐藤四郎兵衛忠信・源九郎狐 = 尾上辰之助(初代)
河連法眼 = 助高屋小伝次(2代目)
逸見藤太 = 利根川金十郎(初代)
妻飛鳥 = 市川福之助(3代目)
腰元撫子 = 坂東羽三郎(初代)
腰元梢 = 坂東橘(初代)
腰元小菊 = 市川滝之丞(3代目)
腰元紅葉 = 尾上扇緑(初代)
腰元小梅 = 坂東玉之助(4代目)
荒法師 = 尾上松四郎
荒法師 = 坂東羽之助
荒法師 = 五郎
腰元楓 = 坂東鶴枝(初代)
軍兵 = 浅野長
軍兵 = 内山三郎
軍兵 = 枝松佳郎
軍兵 = 加太良太郎
軍兵 = 草薙光
軍兵 = 古賀静義
軍兵 = 佐藤亜
軍兵 = 佐藤実
軍兵 = 鈴木昭
軍兵 = 向井史郎
義経の武者 = 薪次郎
義経の武者 = 八重緑
申次の近習 = 鏡秀介
申次の近習 = 尾上緑三郎(初代)
第七回高校生のための歌舞伎教室(大劇場) 1973年7月
昼夜同 1 お話=歌舞伎のみかた 解説:岩井半四郎(十代目)
配役
配役
立まわり = 市川滝助
立まわり = 片岡市松
立まわり = 尾上松太郎(2代目)
立まわり = 尾上緑三郎(初代)
立まわり = 尾上小辰
立まわり = 尾上辰夫
立まわり = 尾上緑也
立まわり = 中村芝歌蔵
立まわり = 歌次郎
立まわり = 中村歌弥
後見 = 市川松次
後見 = 岩井若次郎
昼夜同 2 毛抜き
配役
粂寺弾正 = 市川海老蔵(10代目)
小野左衛門春道 = 市川門之助(7代目)
腰元巻絹 = 中村松江(5代目)
秦民部 = 助高屋小伝次(2代目)
八剣玄蕃 = 片岡市蔵(5代目)
春道子息春風 = 尾上松鶴(2代目)
小原万兵衛 = 市川銀之助(初代)
玄蕃倅数馬 = 坂東志うか(4代目)
春道息女錦の前 = 市川右之助(3代目)
桜町中将清房 = 市川福太郎
腰元睦月 = 市川福之助(3代目)
腰元皐月 = 加賀屋歌江(2代目)
腰元千鳥 = 市川升寿(初代)
腰元木幡 = 市川鯉紅(初代)
忍びの者 = 尾上松太郎(2代目)
素襖の侍 = 尾上小辰
素襖の侍 = 尾上緑也
弾正の供侍 = 尾上辰夫
弾正の奴 = 歌次郎
弾正の奴 = 市川瀧二朗(初代)
侍 = 尾上緑三郎(初代)
侍 = 岩井若次郎
腰元 = 中村福弥
腰元 = 中村歌弥
小姓 = 的場敏樹
小姓 = 幅清二郎
後見 = 市川升之丞(2代目)
後見 = 市川升助(初代)
後見 = 市川升一郎
この記録を見ると昼夜2回となっているので昼、夜2回教室というか教室は開かれていたのかもしれないが自分はいずれも昼間の部だった。特に73年の教室は第2部公演に当時すでに売れっ子だった若手の海老蔵、後の十二代市川團十郎が出演したことははっきりと記憶している。その団十郎も2013年に66歳の若さで没している。
今回、拙い思い出ながら調べるとけっこう記録も残っていることで、自分の記憶の欠落を埋めることができた。自分は結局歌舞伎ファンにはならなかったが、子どもの頃に一流の役者の解説を聞き、一流の役者の芸に触れたことだけは鮮明に記憶している。あの2年に体験がなければ、歌舞伎というものの価値、古典芸能としての煌めきを知ることはけっしてなかったと思う。
今、あのような高校生のための歌舞伎教室が開かれているのかどうかは自分は知らない。願わくばそういう催しが続いていることを、もし開かれていないのであれば復活することを願う。多分、自分と同じようにあの教室を国立劇場で体験した高校生の中から熱心な歌舞伎ファンが多数生まれているのではないかと、そんなことを思っている。
若い時に一流の芸、芸術に触れるということはとても大切なことだし、自分のような無学、無教養の者の心にも何かしら残り続けている。