市川団十郎逝去

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死んじゃったんだね。白血病に罹ったけど快癒したとも聞いていたんだが。やっぱり大看板のプレッシャーやら息子の数年前の所業とかも災いしたのだろうか。
とにかくあの面相である。異彩を放つというか、荒事にはうってつけの押し出しだったのだろうとは思う。存在感溢れる役者さんだった。
私のような年代からすると団十郎というよりもどうしても海老蔵としてのイメージが強い。子どもの頃からずっと海老蔵である。いずれ団十郎を継ぐという話は若い頃からあったが、歌舞伎に一家言もっていた私の父などは、海老蔵団十郎は務まらんだろうみたいなことをよく言っていた。それを思うと大名跡を見事に継承したのではないかと思う。
しかし暮の勘三郎にしろ少し早すぎるだろうという気がしてならない。私の中では、団十郎海老蔵であるように、勘三郎勘九郎だし、幸四郎染五郎なのである。そう私は古い世代の人間なのだ。
歌舞伎はテレビとかではある時期よく見ていたが、きちんと歌舞伎座などへ見に行くなどということはほとんどない。まあ門外漢といっていいだろう。人生振り返ってもたぶん観劇回数は両手で足りる程度である。だからほとんど語ることなどない。日本の伝統芸能。以上。
最初に歌舞伎を観たのは高校1年の時だったと思う。今もあるのかどうかわからないが、当時、高校生のための歌舞伎教室みたいな企画があり、わずかな金額かあるいはタダだったか、そのへんの記憶は定かではないが、歌舞伎を観る機会があった。それで一人で申し込んで国立劇場まで観に行った。歌舞伎役者による歌舞伎の解説と一幕モノが観れる。今思ってもとても面白い歌舞伎入門だった。
正直よくわからないというのが実感だったが、初めての歌舞伎はなにかワクワクさせるような興味深い、魅力的なものにも見えた。解説はもう亡くなったが名脇役だった岩井半四郎だったと記憶している。そう仁科明子のお父さんである。
あんまり面白かったので二年続けてこの歌舞伎教室を申し込んで観た。一幕の芝居は不確かだが、義経千本桜と毛抜の中からだったように気がする。そのうちの毛抜きを演じたのが海老蔵、そう団十郎の若き姿だった。私がある種歌舞伎の面白み、魅力とかを感じたのは、溌剌とした海老蔵のそれを目の当たりにしたからだ。そういう意味で私にはたいへん思い入れのある役者さんなのである。
あの二回の歌舞伎教室で海老蔵のそれに接しなければ、たぶん歌舞伎などに一切関心のない人間になったことだろう。それを思うと海老蔵、後の名優団十郎に感謝の気持ちを捧げたい。冥福を祈る。
さらにいえばあの歌舞伎教室は今でも続いているのだろうか。だとしたらせいぜい高校生たちよ、歌舞伎に触れる良い機会なのでぜひ利用するべきだと私は思う。人生は短い。歌舞伎に一度も関心を寄せることなく人生が終わってしまうことだってありがちなのだ。若い時にそれに触れることによって、ひょっとしたら人生が少しだけ豊かになるかもしれない。私自身はけっして偉そうなことを言える立場ではない。歌舞伎体験だってせいぜい両手程度である。その真髄などは理解し得るわけがない。でも本物の良さを、その片鱗くらいはなんとなく理解できるかもしれないのだ。それは功利的な部分でなにかが得られるということではないけれど、美的なものへの理解を深めることにはなると思っている。
もう一度いう。海老蔵、もとい団十郎には感謝の念をささげたい。そして私と同様な思いを感じている人々がたくさんいるのだろうとも思う。冥福を祈る。