俳優の山口崇が亡くなった。
新聞の社会面を開くと訃報記事を見つけた。
88歳、肺がんということらしいが、まあ寿命なのだろう。それよりもあの山口崇がそんな年齢になっていたということが、ちょっとした驚きかもしれない。
記事にもあるとおり、山口崇はNHKドラマ『天下御免』の平賀源内が当たり役だった。大ヒットドラマだっただけに、平賀源内のイメージが定着してしまった。二枚目男優だったが、ドラマでの飄々とした平賀源内=山口崇みたいになってしまった。同様にあのドラマで、実は山口崇を喰うくらいにイメージが強かった小野右京の介役の林隆三もあのイメージが定着したかもしれない。林は豪放な役柄ばかりになってしまった。彼は2014年に70歳で亡くなっている。
『天下御免』は異色のドラマだった。時事的な話題も多く取り入れた、時代劇的設定の現代ドラマみたいな感じだったか。放映は1971年10月から1972年9月とある。自分は多分中三から高校に上がる頃だ。1972年はあさま山荘事件、札幌冬季五輪、そして沖縄返還があった年だ。激動の時代ということか。そういう時代に放映され、平均視聴率30%前後あったという。
出演者の顔ぶれも多彩。紅一点の中野良子、理知的な美人でけっこう好きだった。
杉田玄白を坂本九が演じたり、クレイジー・キャッツの谷啓、ハナ肇、てんぷくトリオは三波伸介、伊東四朗、戸塚睦夫が揃って出演。六代目三遊亭円生も出ていた。いやはや懐かしい。
多分、このドラマで平賀源内のことを知ったかもしれない。中学生の子どもにはエレキテルすら知る由もなかった。のちにみなもと太郎の歴史漫画『風雲児たち』で、平賀源内の足跡を知ることになった。単なる発明家ではなく、本草学者、地質学者、殖産事業化だけでなく、戯作者、浄瑠璃作者であることなど。子どもの玩具竹とんぼも彼の考案、土用の丑の日にうなぎを食べるのも、彼が流行らせたこと。さらに日本に初めて洋画を導入し、秋田蘭画を花開かせたのも彼によることなどなど。
博覧強記の天才平賀源内を狂言回しにして、享保から田沼時代の自由な雰囲気のなかでの江戸文化と70年代日本の世相をうまくシンクロさせたドラマだった。
山口崇はというと基本的には典型的な二枚目俳優である。どうだろう、当時的には石坂浩二、竹脇無我あたりと同列の二枚目男優というイメージだろうか。後者二人がなんとなく品があるのに比べて、山口はやはり『天下御免』のイメージからか、どこか飄々とした感じでとられていたかもしれない。そして三人ともそれなりにインテリジェンスな雰囲気があった。
山口崇は1938年生、石坂浩二は1941年生、竹脇無我は1944年生。山口と石坂はほぼ同世代といえるか。石坂浩二が大河ドラマの主役などもあり、ある意味一枚看板のテレビ俳優として君臨してきたかもしれない。それに対して山口崇のキャリアはなんとなく今一つで、80年代はクイズ番組の司会者などで有名になった。そういえば一番若い竹脇無我は2011年に67歳で亡くなっている。1970年から1974年に放映されていた森繁久彌と父息子を演じる『だいこんの花』シリーズなんかををよく見ていた。
石坂浩二はというと『二丁目三番地』『ありがとう』シリーズなどで二枚目役を演じていた。いずれも1970年前半に放映されていた。今思うと70年代前半、自分にとって中学生から高校生あたりだけど、一番テレビをよく見ていたんだと思う。多分、世間的にもテレビの全盛期で、みんなテレビを見ていた時代だったのではないか。なのでヒット番組は軒並み視聴率が20%以上がざらだった。今は視聴率が10%超えれば大ヒットとなる。時代は変わったということだろう。
山口崇もテレビが全盛期の二枚目男優の一人だっただろうか。そして当たり役は平賀源内。最近、NHK大河ドラマ『べらぼう』で平賀源内役を安田顕が演じていて、それなりにいい雰囲気を出している。個人的には堺雅人あたりがはまり役になりそうなイメージもありそうな。とはいえ山口崇と堺雅人ではだいぶん異なるかもしれない。山口にはどこか知的な雰囲気があった。
70年代にスターだった役者が鬼籍に入っていく。当時、10代だった自分がアラ古希というのだから、これは仕方ないことなのだろう。でもどこか淋しい思いにもなる。みんな順番に逝くのだ。判ったことではあるのだけど。
山口崇の冥福を祈ります。
