井上ひさし死去

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いつの間にか文壇の長老的存在にまでなっていた井上ひさしが亡くなった。夕刊の一面の他、社会面でも大きくとりあげられていた。作家として劇作家として大きな足跡を残した人だとは思う。
私もけっこう小説を読んだ記憶がある。「モッキンポット師の後始末」「手鎖心中」「青葉繁れる」「四十一番の少年」などなど。1970年の後半から80年の前半にかけてのことだ。おそらく高校から大学に行くか行かないかの頃だろう。それ以降も新作小説が出るとけっこう読んでいたはずだが、次第に離れていくようになったようだ。たぶん「吉里吉里人」や「四千万歩の男」あたりが最後だったか。
もともとこの人をどうして知ったか。記憶の糸を手繰っていくと、おそらくおそらくなのだが、テレビドラマを通じてではないかと思う。「モッキンポット師の後始末」を脚色したテレビドラマで確か石坂浩二が出ていたドラマだったと思う。試みにググると「ボクのしあわせ」というこのドラマだったか。
ボクのしあわせ - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇
ボクのしあわせ
1973年の8月頃に放映されていたドラマだ。今でいえば月9ではないか。この中で石坂浩二井上ひさし役に扮していた。ドラマの中で学生時代の貧乏生活を回想する。その中に出てくるのがモッキンポット神父だった。確か三谷昇が青いコンタクトをして外国人役を演じていた。学生時代の井上ひさし石坂浩二と一緒になって様々な悪さ、悪戯をする悪友役を山本圭と草野大作がやっていたはずだ。
このドラマがとても楽しくて毎週かかさず観ていた。それからこのドラマの原作の「モッキンポット師の後始末」を読み、たぶんその後書きとかに書いてあったのだろう、井上ひさしがあの「ひょっこりひょうたん島」の台本を書いていたこと、その独特のユーモア感覚が当時高校生だった私にはとても面白く受け入れられたということなんだろう。
その頃の私もそうだったが、当時の高校生の間には、けっこうユーモアものというのは普通に受け入れられていた。ユーモア小説、ユーモアエッセイ、そして作家が学生時代の出来事をユーモアいっぱいに回顧してみせる青春モノなどなどである。私の周囲の友だちたちもけっこうみなそういうものを愛読していたし、私も読んだ。
例えば遠藤周作の狐狸庵先生モノ、北杜夫のどくとるマンボウシリーズ、畑正憲のムツゴロウシリーズなどなど。彼等の青春ものは、みな等しく貧しく、旧制高校の寮生活などは、ストイシズムやスノビズムにあふれていた。それらがユーモアたっぷりな筆致で描かれていて、高校時代の我々にはある意味羨望すべき理想の学生生活のように思えたものだった。
そうした青春モノに染まっていた頃にドラマ「ボクのしあわせ」を観て一気に井上ひさしの青春モノを読むようになったのだと思う。彼の時代小説を読んだのはそれからだいぶたってのことだったのかも。まだ本棚に残っている文春文庫の『手鎖心中』を手にとってみる。この頃の本でいまだに残っているものは本当に少なくなっている。この本がまだ残っていたのはある意味奇跡に近い。カバーを外した表4部分に手書きで日付がうってある。1979.11.6購入、11.7読了。表題作ともう一編、中篇小説二本の240頁足らずのものだったから一気に読んだのだろう。
「手鎖心中」は他人を笑わせ、他人に笑われるたいとそれだけのために絵草紙の作者になりたいと思っている材木屋の若旦那栄次郎と、その周辺で同じように絵草子を書き出した若者たちの青春群像を面白おかしく描いたものだ。そのラストの数頁のところには若気の至りか、ご丁寧に赤線まで引いてある部分まである。狂言心中で間違って命を落とした栄次郎の弔いに集まった若き絵草紙作家たちが自分たちの意見を言い合う場面だ。試みに少し引用してみる。

お上の埒外のところで、ということは笑いも色も抜きで、すこしでも自分のやりたいことを見つけていく、それしか、もの書きの道はないのだ。しょせん、戯作は慰みものではないかね。命を張るだけの熱地があるかい?読者はみんな寝っころがって暇つぶしに読んでいるだけだぜ。勧善懲悪、波乱万丈、善玉悪玉、豪傑英雄・・・・・それで充分だ。

そうみんなに意見する清右衛門なる人物は曲亭馬琴を名乗ることになる。
それに対して栄次郎と同じく他人を笑わせる道を選ぶ主人公はこう宣言する。

おれは栄次郎の骨をひろってやる。栄次郎の倒れたところからやってみる。そうでもしなきゃ栄次郎が浮かばれないじゃないか。それに、おれには他に何の才もないのだ。武器は高々駄洒落がちょっと出来るぐらいのものだが、その唯一の武器で、栄次郎の分までやってやろうじゃないか。世人の慰みものに命を張ってみよう。栄次郎のとむらいの日に、おれは生まれ変わったんだ。茶気が本気に勝てる道をさがしてやる。むろん、きっと机の前の地獄に座りとおしてやる。

そう話して主人公は、きょうから自分は十返舎一九になると宣言する。
さらにその場にいるもう一人の男太助なる絵草紙作者はこんな風に自分の帳面に書き込む。

「意見上戸に笑い上戸、いつかさまざまの上戸のありのままを活写してみること。題はたとえば”酩酊気質”」「そうだ活写だ!茶番や笑いはお咎めのもと、勧善懲悪は性にあわない。わたしの行く道は活写。絵草紙を読む人々の毎日の暮らしを、髪床や風呂屋での人々の会話を、そして浮世のすべてを活写すること!」

そう書いた男は式亭三馬と名乗ることにする。
江戸期の絵草紙の大家たちの若き日々を描いたこの作品で井上ひさしは一皮向けたのではないかと思う。そして彼等に語らせた言葉はある意味では井上ひさしの作家としての宣言だったのではないかと、そんなことを思ってみたりもする。1972年に直木賞をとったこの作品で狂言回しとなる十返舎一九の言葉「茶気が本気に勝てる道をさがしてやる」は井上自身の作家としての意気込みであり、方向性を示したものだったのではないかとそう思う。そしてそれから40年近い歳月を彼は「机の前の地獄」に座りとおして作家としての生涯をまっとうしたのだと。
冥福を祈る。
新装版 手鎖心中 (文春文庫)