久米宏が逝ったようだ。
久米宏さん死去 「Nステ」「ザ・ベストテン」 81歳:朝日新聞
昨日のニュースショーは、テレ朝報道ステーションが前身のニュースステーションのキャスターだったこと、TBSのNEWS23はもともと久米がTBS出身であること、長く「ベストテン」の司会をしていたこともあり、それぞれが追悼番組のような形で報じていた。
そう久米宏は長くテレビの顔であった。報道番組の司会者で彼ほど知名度があり、人気の高い人はいないし、多分これからも出てこないだろう。そもそもニュースステーションのようなニュースショーはなかったし、それをゴールデンタイムに放送されることはなかった。もっとも欧米ではそれが普通だったし、アメリカなどではキャスターが大統領に匹敵するほどの知名度、人気を獲得している例だってあった。
彼はニュースキャスターという言葉を、日本に定着させた。それまでニュース原稿を読むアナウンサーが主流であった中で、ニュースを報じる、語る、論じる、そういうものを定着させた。
でも自分にとって久米宏はというと、いつまでたってもTBSのアナウンサーというイメージだ。そして当時の民放アナウンサー、特にラジオ局ももっている民放アナウンサーは、おしなべて深夜放送のパーソナリティを経験している。関西の事情はわからないが、関東の場合は基本的にそれはTBSのアナウンサーだった。
久米宏は1967年にTBSに12期アナウンサーとして入社した。同期には林美雄、宮内鎮雄らがいる。そして1970年5月に久米はパックインミュージックのパーソナリティに抜擢される、結核発症のためわずか一か月で降板する。その後を引き継いだのが林美雄である。彼はその後4年間番組を担当し、多くのサブカル的な映画、音楽を取り上げた。あまり知られていないが、荒井由実時代のユーミンをもっとも早くに取り上げたのも林だ。
パックインミュージックは1982年に番組自体が終了するが、その最終回『さようなら!パックインミュージック』の司会をしたのは、すでに総合プロデューサーになっていた林美雄である。林はその後キャリアを積み重ね編成部やアナウンス部の幹部を歴任したが、胃がんのため2002年に58歳で早世している。
同じくアナウンサー12期組の宮内鎮雄もパックインミュージックのパーソナリティを担当していた。彼は当時から長髪の異色アナウンサーで、ロックミュージックに造詣が深く、1973年にはBBCに派遣され3年間日本語放送のアナウンスを担当した。その彼も2022年に76歳で亡くなっている。
若手アナウンサーとしてパックインミュージックを担当し、その後アナウンサーとして人気を博しフリーになった小島一慶は、1968年13期アナウンサーとして採用されている。久米、林、宮内の1年下にあたる。彼は2020年に亡くなっている。
久米は肺がん、林は胃がん、宮内は膵臓がん、小島も肺がんである。二人に一人ががんで亡くなる時代か。
久米宏が頭角を現したのは、永六輔の「土曜ワイドラジオTokyo」のリポーターとしてである。スタジオにいる永六輔やアシスタントの遠藤泰子に対して、街頭でさまざま取材、インタビューを行うのが久米宏だった。当初、永から「君のリポートは面白くない」と言われ、そこから奮起してあの型破りなスタイルが生まれたという。
またTBSテレビの司会者としては、クイズ番組『ぴったしカン・カン』が人気を得た。あれは萩本欣一の推薦だったという。久米宏は永六輔と萩本欣一に目をかけられて人気司会者の位置を獲得していった。彼の才能を見出した永や萩本の慧眼、それに応えて大成した久米、そして久米をスターにさせるような時代、そういうことだったのだろう。
『ニュースステーション』の司会者として成功、それについては特に印象がない。彼はもうスターであり、ニュースキャスターといえば久米宏だった。ある意味、仕事を終えて帰ってきてテレビをつければ、いつもそこに彼がいた。そういう存在だった。
でも繰り返しになるが、自分にとっての久米宏はTBSのアナウンサーであり、林美雄や宮内鎮雄の同期、小島一慶の1年先輩としての彼である。それは『パックインミュージック』という深夜放送に、暗い青春時代の日々を投影させ、そこに一時の安らぎを得ていた自分、あるいはその時代への郷愁へとつながる。孤独のなか、ラジオの向こうにパーソナリティがいて、さらに自分と同じような孤独なリスナーがいる、そこへの不確かな共感、かすかな結びつきみたいな幻想みたいなものを抱えていたあの頃。
林美雄が逝き、宮内鎮雄が逝き、小島一慶が逝き、そして久米宏が逝った。当時の深夜放送のパーソナリティ、ラジオ局のアナウンサーで存命なのは誰だろう。久米の3期先輩で9期アナウンサーであり、『パックインミュージック』のパーソナリティでもあった桝井論平はまだ存命だと聞いている(彼には『僕は深夜を解放する』という投稿ハガキを紹介した著作があったが)。
深夜放送の時代、それはたぶんに幻想だったのだろうが、僕らは本当に深夜開放されていたのだろうか。
みんな等しく逝く。それが人の世の常だ。当時のパーソナリティのほとんどが鬼籍に入る。そしてラジオアナウンサー、パーソナリティーから希代のニュースキャスターに華麗に転身した久米宏が逝った。
そしていつも思うことだが、20世紀は遠くになりにけりと。