映画監督の原田眞人さん死去、76歳 「クライマーズ・ハイ」:朝日新聞
映画監督の原田眞人が亡くなった。1949年生まれ、団塊世代の人だったか。
映画ファン、年間100本以上映画を観るシネマフリークから映画評論家になり、そして映画監督になった人だ。この人が映画監督としてデビューした時に、日本にもこういう人が出てくるのかと感心した記憶がある。
映画ファンから映画評論家になり、そして映画監督となった人というと、ピーター・ボグダノヴィッチがいる。もともと熱狂的なシネマフリーク、そして映画評論家となり、大好きなジョン・フォードにインタビューした『インタビュージョン・フォード』出版した。そして『ラスト・ショー』、『ペーパー・ムーン』などを監督した。
熱狂的なシネマフリークがいつか映画を撮る、監督となる。それは映画ファンの誰もが、一度は思う夢でもある。ヌーベルヴァーグの監督たち、ゴダールやトリフォーもそうだった。鬱屈とした少年時代、彼らは映画だけを観続けていた。それから評論を書き、認められ、そして自らメガホンをとる。
フランスの若者たちには可能だったが、ハリウッドの映画製作システムの中では、批評家、理窟屋が映画を撮るということはあり得なかった。そこに現れたのがボグダノヴィッチだった。そして日本では、大手映画会社の制作システムがあり、映画を撮るためには映画会社に就職しなければならない時代が続いていた。
大手映画会社から外れた独立系では、ATG系が低予算ながら個性溢れる映画を若手監督——彼らはたいていの場合に学生時代に低予算の8ミリ映画を撮っていた——が撮り始めていた。でも映画ファンが、映画評論家が映画製作をするなんてことはなかった。80年代に入って、熱狂的なシネマフリークだった和田誠が、映画を撮り始める。80年前後はそんな時代だったのだろうか。
原田眞人の第一回映画作品『さらば映画の友よ インディアンサマー』は、1979年に公開された。熱狂的な映画好きの男と浪人生の交流を描いた物語。
映画好きな男ダンさんは、「人生の目的は1年365本映画を観ること、それを20年続けること」と嘯く。やることがなく映画ばかり観ている浪人生シューマは、20になる前に童貞を捨てること。彼らは場末の映画館で知り合う。浪人生はミナミという少女と知り合い付き合うようになる。でもミナミは実はヤクザの情婦であることがわかる。ダンさんはミナミを救うためにある行動に出る................。
シネマフリークのダンさんは、映画好きだがおそらく実人生では敗残者だ。彼は映画館ではいつも一番前の席で観る。スクリーンの真ん前で対峙している。いつかスクリーンの向こう、映画の世界に行くのが夢という男だ。そしてラスト、彼はスクリーンの向こうにいくことができるのか。
ダンさんを演じたのは川谷拓三だ。そう東映の悪役・脇役集団、ピラニア軍団などで頭角を現した名わき役。『仁義なき戦い』シリーズではたいてい途中で無残に殺されるチンピラ役、テレビドラマ『前略おふくろさん』などで人気が出た名脇役だ。彼が実人生ではたぶんクズだが、とにかく映画への情熱、映画を観ることだけに人生を費やす男を好演した。
『さらば映画の友よ~』は映画としては今一つ、演出もどこか映画への思いが空回りしていた。でも映画好きを自称して、やはり年に100本近くの映画を観ていた学生だった自分にはそこそこ思い入れのある映画だった。
その後、原田眞人は順調に映画監督としてのキャリアを積んでいく。『金融腐蝕列島〔呪縛〕』、 『突入せよ! あさま山荘事件』、『クライマーズ・ハイ』など。職人気質で重厚な演出、集団劇に秀でていたような気がする。
自分が一番好きなのは『突入せよ!あさま山荘事件』だろうか。過激派集団と機動隊の攻防、そこに通底する新左翼の社会変革といった思想性を一切排除し、見事な戦争映画を作り出した。若松孝二がこの映画を体制側の視点のみで作ったと批判したが、自分などはそのへんは重々承知しながらも、過激派集団の籠城とそこに挑む警察組織の攻防が、実に見事にエンターテイメント化されていることに正直驚いた。
人によっては戦争映画は「人が死ぬ」という一点で拒絶する。自分もまた戦争だけは絶対に認めたくないし、避けるべきものだとは思う。一方で映画などドラマとしてみたときには、敵と対峙し、死と隣り合わせの緊張状態が続く、そういう極限状況のドラマツルギーは、作り物としてはけっして嫌いではない。そういう点でいえば、戦争映画は割とよく観るほうだ。戦場のドラマ、人間が極限状況の中でどのように生きるのか、死ぬのか。
『突入せよ!あさま山荘事件』は本当によくできた戦争映画だった。まああれはもともと警察官僚で、あさま山荘事件の警備を指揮した原作者佐々淳行に文才があり、過激派と警察との攻防を軍記読み物にしたてあげたということもあり、ある意味あの映画で原田眞人は、原作に忠実な映画を撮ったということかもしれない。
映画ファンが映画と関わる人生を選び映画評論家となる。そしてスクリーンの向こうの世界に飛び込み、映画監督としてエンターテイメント性の高い面白い映画を撮り続けた。原田眞人はそのようにして人生を全うした。さらば映画の友、そしてご冥福を祈ります。

