午前中、眼医者の通院で都内へ。
なにか都内に出る用事は通院ばかりになりつつある。トホホだ。
2~3ヶ月に一度の内科通院。最近始まった緑内障の治療のため眼科医通院と検査。そして歯医者のクリーング・定期健診などなど。
自覚症状のあるような病気の類がないのは僥倖なんだろうけど、ひょうっとしたらこれはアラ古希の様々な雌伏、潜伏期間かもしれない。そのうちドバっと一気にいろいろと出てきたりして、来年あたり。
その覚悟はあるかといえば、まあその、ないというか。まあ年齢的になにがあってもしょうがないので、それはそれで受け入れるしかないのだろうけど。
眼科の通院、とりあえず点眼をまめにしているせいか、眼圧は16から14に下がっているとか。数値的には問題はなさそうだが、多少とはいえ視野狭窄があるので、治療はある意味一生続くらしい。トホホだ。
通院終了したのが11時半頃。早めに昼食をとって、さてとすぐに帰るのも芸がない。さりとて月曜日は軒並み美術館はお休みだし。
ということで久しぶりに浜離宮にでも行こうかと思った。
浜離宮は去年の暮に最初に訪れてからすでに5回来ている。2024年12月、1月、3月、4月、7月。まあこれには理由があって、この間の通信教育の演習のレポートが都内の文化財庭園について。演習1が「浜離宮のバリアフリー状況」、演習2が「芝離宮の眺望と俯瞰景」などなど。
そして卒業レポートのテーマがそのつながりで「浜離宮の現代的景観の意義」にしようかと。問題意識としては、文化財庭園の周辺に林立する高層ビル群と庭園内の風光明媚な景観との関係をどうとらえるかということ。
一般的には、周囲の開発による高層ビルのスカイラインは、庭園の本質的価値を減じる景観破壊と評価されている。しかし今さらに都市の開発や、高層ビルの建築にストップをかけることは不可能に近い。首都圏の不動産価値の高騰が続くなかで、タワーマンションは次々と建設されている。
浜離宮の周囲では、2002年に旧新橋停車場跡地に再開発された「汐留シオサイト」により、周辺の景観が激変した。さらに海側の埋立地である臨海地区にはタワーマンションが林立している。2025年からは築地市場跡地の再開発が開始され、2035年までに9棟の超高層ビルを含む巨大施設も計画されている。
もはや浜離宮は周辺を超高層ビルに囲まれた箱庭のようなものになりつつある。であるならば、園内からの眺望を景観破壊と嘆くよりも、そこに新たな価値を見出し、文化財庭園の現代的景観の意義を考える。まあそんなことをテーマにしようと思っている。
といいつつ、実はレポートはほとんど出来上がっている。6月くらいから講義の受講をやめて取り組んでいたから。もっともビデオ講義とかはあらかた受講済みで、今年は卒業レポートだけみたいな感じでもある。ほぼそのためだけに1年分の学費を払っている。なんともコスパが悪い。これで提出レポートが不可だったら、潔くやめようと思っている。どのみち学業は70歳までと決めているから。
ということで、今回の浜離宮訪問は、ほぼ片付いたレポートの補足とか、モレがないかとか、まああまり使いたい言葉じゃないけど、「新たなきづき」とか、まあそんなところ。「補遺再訪」という言葉を思いついたけど、なんか違うか。
改めて浜離宮はというと最寄り駅は、大江戸線の汐留駅、ゆりかもめの汐留駅の二つで徒歩5分。その他、大江戸線築地市場駅や日比谷線の築地駅・東銀座駅からも徒歩8分くらいだそうな。
自分はというといつもJRの新橋駅から歩いて行く。徒歩15分くらいというけど、間隔的には10~12分くらいか。まずゆりかもめの新橋駅に向かい、そのまま改札を通り過ぎてシオサイト方面に。電通のカレッタ汐留のあたりで階段降りて、信号を二つ渡ると浜離宮の大手門につく。
汐留シオサイトを見上げる。スカイスクレーパーってこんな感じだろうか。

どうでもいいがデオダートのCTIからの2枚目のアルバム『デオダート2』には「スカイスクレーパーというご機嫌なフュージョンナンバーが収録されている。こんな感じだ。
デオダートは1枚目の「ツァラツストラはかく語りき」をよく聴いた。それこそありふれた表現になるけど、レコード擦り切れるくらいに。そしてこのアルバムもよく聴いたっけ。ギターはジョン・トロペア、ベースはスタンリー・クラークだっただろうか。まあこれは脱線。
大手門から入ってから少し歩いて右側を見上げると汐留シオサイトのビル群が。高層ビルのスカイラインをなんとなく、「山並み」ならぬ「ビル並み」と勝手に言っているのだが、どうだろう。

芦原義信は『街並みの美学』で、街路の幅(D)と建物の外壁の高さ(H)の比率を開放感や閉塞感の指標としている。
D/H=1以下 (完全に囲まれていると感じる)
D/H=4以上 (囲まれ感覚の消失)
さらに建築物の全体を景観としてとらえるためには、「建築の高さ(H₁)の2倍の距離(D₁)離れなければ建築の全体としてみることができない」としている。
浜離宮の周囲に高層ビルが林立していても、閉塞感が感じられないのは園内の広さが十分にあるからだろう。園内の広さ=街路の幅という意味では、広大な敷地は囲まれ感がまったくないといえる。このへんが浜離宮の近くにあるもう一つの文化財庭園芝離宮との大きな差だ。あそこは庭園の至近に中高層ビルがあり、囲まれ感、閉塞感がある。逆にいえば、あの庭園は都会の箱庭みたいなそういう意匠になっている。まあこれは現代的な意味においてということになるのだけど。
浜離宮は現在、二か所で大規模な工事が行われている。
まず大手門から300年の松から御蔵道橋を通りお花畑に通じるあたりが通行止めになっている。そのためお花畑に行くには、内堀沿いに進んでから左に折れて花木園を経由していくことになる。お花畑はキバナコスモスが満開。コスモスはまだこれからという感じだった。


そして無造作に積み上げられた塊みたいな感じの草木、よく見るとどうも萩のようだ。

お花畑からそのまま海側に進み、将軍お上がり場、横堀水門を抜けて汐見のお茶屋跡付近から海を臨む。ここは防波堤に仕切られた水路で、防波堤の裏側は隅田川の河口。さらにその向こうは勝どきの埋め立て地区、いわゆる湾岸地区=ウォーターフロントっていうところだ。その埋立地にはタワーマンションが林立しており、さらに新しく二棟が建設中だ。

南側の中高層ビル群は竹芝地区。一番右側の平べったい屋根はJR東日本四季劇場のようだ。このあたりは園内の近接する富士見山から振り返ってみるとそれなりの圧迫感がある。距離的には近い。

富士見山から汐入の池を前景に汐留サイトを望む景観。これがたぶん伝統的庭園の園内から、外部の高層建築物を借景とする浜離宮の新しい景観的価値かもしれない。富士見山に上がった観光客、特に外国人たちはこの景色を盛んに写真に撮っている。
以前、この光景を見て若い日本人カップルが「カッコいい」と声をあげていたのを思い出す。まさにこれは「カッコいい景観」なのだろう。

汐入の池を通るお伝い橋の一部、藤棚のあるあたりは工事中で通れない。工事期間は来年の1月下旬までのようだ。

浜離宮の景観は周囲の都市化、開発により、江戸時代、あるいは明治の頃とはまったく異なっている。それを景観破壊とする意見は、1970年代から造園学の専門家からも多く出ていた。しかし規制や環境アセスメントを求めても開発の進行を止めることはできない。とくに2002年に建築基準法の一部改正を伴って施工された「都市再生特別措置法」により、容積率制限、用途制限、高さ制限といった規制の適用が除外されたことにより、高層ビルは次々と作られていった。
2002年以降、浜離宮の周囲の汐留や湾岸エリアには50棟を超える100m超の高層ビルが建設されている。そうであれば、園内からの東京の今の景観、高層ビルのスカイラインを楽しむ、そういう価値観を良しとしていく以外にないと改めて思ったりもする。
これは岡本太郎の言説ではあるが、日本庭園は自然そのままではなく、庭園内に人口的に作られた自然である。そのうえで「外の自然美と内の人工美との巧妙な使い分けの調和」こそ借景式庭園の本質であり、「自然と半自然的要素とを対立のまま結合する技術」なのである。
そうだとすれば、周囲を現代的建築物としての高層ビルに囲まれた伝統的庭園は、造られた人工美としての自然景の中に外部の作られた人工(美?)の高層建築を借景化しているといえるのではないか。
これが今年、何度も足を運んだ、浜離宮、芝離宮、小石川後楽園、六義園などを周遊したうえで得た感想めいた結論といえるかもしれない。

