『最前線物語』を久々に観た

 

 NHKBSで録画した『最前線物語』を久々に観た。

 B級映画の巨匠サミュエル・フラー監督作品。当時的にいうと、ヌーベルヴァーグの監督たちがサミュエル・フラーをえらく評価していると、幾つかの本で知っていた。その老巨匠フラーがキャリアの集大成として作った戦争映画という触れ込みだったか。これは劇場で観た。サミュエル・フラーが評価される理由がわかったように思えたが、いまだかって彼の映画はこれ一本のみのままだった。

 第二次世界大戦、第一歩兵師団の歩兵第一分隊の戦闘を時系列とユニークなエピソードを交えて淡々と描いている。北アフリカ上陸とロンメル戦車軍団との戦闘。次にはシシリーでの戦闘とイタリアへの転戦。そして1944年のノルマンディー上陸作戦からフランス各地への転戦。さらにベルギーでの戦闘から最後はチェコスロヴァキアへと進む。そこではユダヤ人収容所を開放する。年代的には1942年から1945年まで3年くらいの戦闘ということになる。

 この映画は戦争映画としては異色である。冒頭では第一次世界大戦のフランス戦線が舞台となる。1918年、米軍の新兵はドイツ兵が「戦争は終わった」と告げながら歩みよってくる男をナイフで刺殺する。陣地に戻って上官に報告すると戦争が終わったことを告げられる。彼の行為は敵を殺したのではなく殺人行為だった。

 それから24年、新兵だった男はベテラン軍曹となり4人の新兵たちを引き連れて北アフリカ、イタリア、フランスと転戦していく。彼の歩兵第一分隊には4人の他にも兵隊はいたが、どの戦闘でも軍曹と4人だけが生き残る。何人もの兵士が補充されてくるがいつも生き残るのは軍曹と4人だけだ。

 軍曹を演じるのは名優リー・マーヴィン。若い兵士はマーク・ハミルロバート・キャラダイン、ボビー・ディ・シッコ、ケリー・ウォード。リー・マーヴィンは性格俳優、悪役俳優として名を馳せたアカデミー賞俳優だ。当時56歳だが貫禄があり老兵役が板についている。

 マーク・ハミルは1977年に『スター・ウォーズ』のルーク・スカイウォーカーでブレイク。そのイメージが定着していることから、この映画の出演オファーを受けたという。さらにロバート・キャラダインは、ジョン・キャラダインの子で、兄はキース・キャラダインという俳優一家だったか。ボビー・ディ・シッコはほとんど知らないが、スピルバーグの『1941』に出ていたのだけは覚えている。

 戦争映画であり戦闘シーンも多いが、この映画が異色なのは戦闘以外のエピソード。まず冒頭の第一世界大戦での「戦争は終わった」として近づいてきたドイツ兵を刺殺するシーンは、木造のキリスト磔刑像がある原野が舞台。リー・マーヴィン扮する新兵がナイフで相手を殺害すると、カットはキリスト像のアップに変わる。何か宗教的な寓意を思わせる。

 軍曹は北アフリカ戦線で負傷して捕虜となるが、入院していた野戦病院に連合軍が攻め入り開放される。その際、軍服ではなくアラブの衣服を着て、そのまま部下のもとに戻る。海岸で休暇中の部下のもとに遠くの丘からトーブ姿で立ち尽くすリー・マーヴィンの姿がなんとも様になっている。

 イタリア戦線では死んだ母親の遺体を手押し車で運ぶ少年と出合い。少年はドイツ軍の移動砲台の場所を知っているが、その場所を教える条件として母親の埋葬と棺桶を要求する。すでに腐敗の進んだ遺体を兵士たちは運び、少年が教えた陣地を攻撃する。ドイツ軍陣地を破壊したあとで、軍曹は少年に上等な棺桶を手配したことを告げる。

 ノルマンディー上陸作戦では、輸送船の中で海岸線のドイツ軍の覇気は低いので、上陸は簡単だと軍曹は部下に告げる。しかし上陸したのは最激戦地のオマハ海岸で、激しいドイツ軍の攻撃にあい海岸線でとどめられる。爆破筒を用いてドイツ軍のバリケードを破壊しようとするが、命じられた兵士は次々と銃撃で死んでいく。

   最後にマーク・ハミルバリケード手前まで行くが、機銃攻撃で一歩も進めなくなる。すると軍曹はマーク・マイルを後方から威嚇射撃する。恐怖でひるめば味方に射殺される。敵に殺されることにもひるまなず進まなくていけない、それが戦争の真実だと伝えるシーンだ。

 フランス戦線に進むと、キリストの磔刑像が野ざらしになっている小高い丘にやってくる。そこは第一次対戦中に、軍曹が戦争終結を知らずにドイツ兵を刺殺した場所だ。

    そこで一台のオートバイがやってくる。運転していた男はまのまく死んでしまう。オートバイのサイドカーには女性が乗っている。彼女は妊婦で出産寸前だ。軍曹は彼女を攻撃されて動かないドイツ軍の戦車の中に入れ、そこで部下に彼女から子どもを取り上げるように指示し、自らも手伝う。狭い戦車の中で兵士三人が、女性の出産に立ち会う。彼女広げた足を固定するのは、機関銃の弾帯だ。悪戦苦闘の末に子どもを取り上げる。戦争映画の中の奇妙なヒューマニティなシーンだ。

 チェコスロバキアユダヤ強制収容所に進軍し開放する。そこで兵士たちが見たのやせ細り、虚ろな目をした囚人たちだった。兵士の中には怒りのため、抵抗するドイツ兵を射殺したあとも、繰り返し射撃をやめず撃ち続ける者もいる。

軍曹はやせ細り、死の間際にある少年を抱きかかえ、少年に食べ物を与えようとするが、少年はもうそれを口にすることもできない。最後、軍曹は少年を肩車して歩き始めるが、少年は軍曹の肩の上で死んでいく。

 ラストシーン、深夜にドイツ兵が一人何かを叫びながら歩いてくる。軍曹はその兵士をナイフで刺殺する。そこに部下たちがやってきて、戦争は数時間前に終わったことを告げる。そして刺されたドイツ兵がまだ生きていることが判り、軍曹と部下は懸命に救命措置をする。

 兵士たちの行為は欺瞞的かもしれない。でも戦争が続いている間、敵はただ殺すだけだ。でもいったん停戦、終戦となれば、人を殺すことは殺人となる。軍曹は戦闘の合間に部下たちに告げる。「戦闘は殺人ではない、ただ殺すだけだ」と。

 この映画は単なるアクション的な戦争映画ではない。きわめて寓意性に富んでいる。その意味するところは簡単ではなく、様々な解釈が可能。というか多義性に富んでいる。1980年公開、45年も前の映画だが、内容的にも、映像的にもけっして古くなっていない。DVDも持っているがなにか久しぶりに観た。たぶん以前観たときよりも20年くらいは経っているかもしれない。でも観てよかった。そして生きていれば、またいつか観たいと思える映画だった。