旅行最終日、川奈ステンドグラス美術館の後にして帰路。途中で箱根のポーラ美術館へ行ってみた。ここには6月にも訪れているので、まさかの一か月後の再訪だ。
というのは現在行われている「ゴッホ・インパクト―生成する情熱」展が思いのほか面白かったので、もう一度行きたいと思っていた。特に第二部「ゴッホ×現代。わたしたちが奏でるゴッホの変奏曲」という、ゴッホにインスパイアされた現代の日本作家の作品がけっこう響くものがあった。
ゴッホ・インパクト─生成する情熱 | 展覧会 | ポーラ美術館
ゴッホ×現代。わたしたちが奏でるゴッホの変奏曲。
1890年にゴッホは、わずか37年の生涯を終えています。それ以来、ゴッホの芸術が生み出したインパクトがいくえにも重なった結果、ゴッホにまつわる現在の評価が形づくられています。ひとつの世紀を越えたそのプロセスにおいて、ゴッホからの影響を糧(かて)としながら、芸術家たちはそれぞれの時代にふさわしい新たな情熱を、どのように生成してきたのでしょうか。ポーラ美術館の新収蔵である森村泰昌の作品から、ゴッホの母国であるオランダを拠点として活動するフィオナ・タンの作品まで、多様性にあふれた現代におけるゴッホの変奏曲を紹介します。
森村泰昌によるなりきりゴッホや桑久保徹の「カレンダー・シリーズ」の《ゴッホのアトリエ》なども良かった。もちろん福田美蘭の作品なども。
ただ前回は時間がなくて、B3の第二部をちょっと流すような感じだったので、今回はこちらから観ることにした。フィオナ・タンの映像作品はなんとなくしっくりこなかった部分はあるにはあるのだが。
そして森村泰昌によるファン・ゴッホとテオになりきった映像作品《エゴ・シンポシオン[ゴッホの章の抜粋]》は面白いし後をひくというか。とにかく森村のゴッホの受容と解釈が見事に映像化されている。ある意味、これをまた観たいと思ったのが再訪の理由。

アーカイバルピグメントプリント 作家蔵
そして桑久保徹である。
1978年神奈川県生まれ。多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業。「絵を描く」という手段で現代美術に立ち向かうための方法として、自分の中に架空の画家を見出すという演劇的アプローチで制作を開始。油絵具の厚塗り技法を用い、現代的な心象風景を物語性豊かに描く。桑久保が尊敬する画家の生涯をひとつのキャンバスに描き込んだ「カレンダーシリーズ」ではフェルメール、ピカソ、セザンヌ、スーラなどを作品化している。そのゴッホ版がこれだ。

この細部を観て行くのが楽しい。






あとはゴッホの影響を受け、フォーヴィスムから表現主義的な風景画へと変化していくヴラマンク、さらに彼の教えを受け、その影響化にあった里見勝蔵や佐伯祐三の作品を展示した一室はなんとも興味深かった。
佐伯祐三がヴラマンクとユトリロに影響を受けたというエピソードは有名だ。でもヴラマンクとユトリロの二人に交流があったのかどうか。一方はフォーヴィスムから暗い緑青の寒々とした風景画で、一方は白みのかかったパリの風景画で、それぞれ人気を博したエコール・ド・パリ派の画家だ。でも二人の交流というエピソードは自分は見聞きしていない。どうなんだろうか。
しかしヴラマンクとユトリロにある種の共通点を見出し、そのいずれもの影響を受けた佐伯祐三の感性にはやはり芸術的な才能があったのだろう。同じヴラマンクの影響化にあっても例えば里見勝蔵のそれは単なる模倣に過ぎないが、佐伯の場合には模倣しつつも独自性のようなものを感じた。
とりあえず面白かったのはヴラマンクの表現の変遷。
ヴラマンクは音楽教師の子として生まれ、バイオリンの手ほどきを受けるが、本人は音楽家になる気はさらさらなく、自転車レーサーになることを夢見ていたという。怪我でその道が絶たれると、オーケストラでバイオリンを弾いて生計をたてていた。10代で結婚し子どもが三人もうけてもいる。
その後、独学で絵画の道に進み、アンドレ・ドランと意気投合する。ドランからマティスを紹介され、三人は激しい色彩表現のフォーヴィスム的作品を描き画壇に新しい潮流を開いた。
その後、マティスは明るいより装飾的な絵画へと進み、ドランはアカデミズムや古典主義に回帰する。それに対してヴラマンクは地方の町や村を陰鬱とした深緑や緑青による暗い陰鬱とした色調で描くようになる。そのマチエールは絞り出した絵具をそのままキャンバスに塗り付けるような激しいものになっていった。
ヴラマンクは徹底した自由主義者で、アカデミズムや技法、理論などの束縛を嫌い、独自の技法に拘り続けた。そのなかで影響を受けたのは、ゴッホやセザンヌといわれている。
以前、新印象主義=点描派の展覧会を観たときに、特にアンリ=エドモン・クロスの作品で感じたことだが、点描が次第に大きくなるにつれて、じょじょに色彩表現に主眼を置くようになる。点描表現は、筆触分割による視覚混合をより科学的に追及した技法であった。それがじょじょに点描のドットが大きくなると、本来の視覚混合を求めなくなる。点描が大きくなるにつれてフォーヴィスムに変化していく。これはまあ適当な当てずっぽうみたいなものだ。
アンリ・マティスも初期には点描的作品を多数描いている。その中には数メートル離れて観ていても、視覚混合がなされないものが多数ある。点描がドットから色彩表現としての面へと変異していく過程をみているような気さえする。
同様のことがポーラ美術館のヴラマンクの作品にも見られるように思えた。

この筆触分割は印象派の表現というより、視覚混合を求めないセザンヌのそれに近い。筆触の大きさも様々、さらに縦や横、斜めと自在だ。この筆触がさらに拡大し、色彩も様々になる。

そしてヴラマンクがいきつくのは鮮やかな色彩表現の爆発のようなフォーヴィスムとは真逆な暗いほぼモノトーンのような深緑の世界だ。

この絵を観ていて思うのだが、この絵の建物を白い漆喰や明るいレンガ作りにし、空を青く、陽光に照らされる都会の街に仕立てると、それはモーリス・ユトリロのようではないかと。さらにいえば登場する人物がお尻の大きな女性だけにしてしまえば。
このスタイルで都会の春、夏の風景を描けばユトリロ、田舎の町の冬ざれた風景を暗く描けばヴラマンクのようになる。
そしてヴラマンクに師事し、もろに影響を受けたのが日本人画家たちである。

この里見勝蔵の作品は、師匠ヴラマンクのまんまコピーのようだ。画題、構図、色彩、すべてにおいて模倣、まさに習作そのものといえるだろうか。


これに対して佐伯祐三はヴラマンクを模倣しつつ、そこに彼の独自性の萌芽を容易に見出せる。暗い色調の中にも彼なりの異国の町風景の捉え方、感じ方が、明解に現れている。里見の紹介で最初にヴラマンクを訪れたときに、持参した作品を見せたところ、ヴラマンクから「このアカデミズムが」と叱責されたというエピソードをもつ佐伯は、師匠ヴラマンクに習いつつも、そこにオリジナリティを出すことに腐心していたように思えた。
ゴッホに影響を受けたヴラマンクの画歴の変遷、そして彼に師事し影響を受けた若い日本人画家の作品群。ゴッホの激しい表現、筆致がいかに受容されていったかを、今回の企画展「ゴッホ・インパクト」では自館所蔵作品を使いながら、見事に展示・展開しているように思えた。
ポーラ美術館のこの企画展は11月30日までのロングランで開かれる。秋頃にもう一度箱根に行く予定もあるので、出来ればまた寄りたいと思っている。それだけの価値ある企画展だと思う。