写真家セバスチャン・サルガドが亡くなったようだ。
早朝、新聞の訃報欄に掲載されていた。
81歳、まあそういう年齢だったのだろう。15年前に取材で訪れたインドネシアでマラリヤに感染し、合併症が進行して重度の白血病になり、闘病の末の死ということのようだ。
この人のことを知ったのは、やはりこの本だ。
最初に手に取り、ページをめくった時の衝撃は忘れられない。たぶん、人からお借りしたか何かだったのだろうが、食い入るようにして見た。
そのうち買おう、入手しようと思いながら、そのままになってしまった。版元の岩波でも品切れになり、一度か二度復刊されたはずだが、ずっと品切状態になってしまった。
岩波の人に「サルガド、復刊しないの」と何度か聞いたことがあったが、「なかなか難しい」みたいな話だったようだ。おそらく部数的に採算とれないとか、そういうこともあったのだろう。国内では刷れないので海外製本が必要だが、相応の部数を刷らないと採算ベースにのらない。そしていざ在庫抱えてもなかなか思うように捌けないみたいな。
多分、今は版権が切れているのではないかと勝手に想像している。どこか他の版元で再刊してくれればいいと思うが、おそらく新たに出れば1万超えになるだろうか。
こういうことがあるからやはり本は欲しいと思ったときに買った方がいいのだろうと、そんなことを思ったりもする。今、『人間の大地』は図書館でしか目にすることができないのかもしれない。
サルガドの経歴については、以前Amazonプライムで彼の足跡を追ったドキュメンタリーが配信されていた。確認すると今でも観ることができるようだ。もともとブラジルの軍事政権の抗議してフランスに亡命した経済学の学生だったとか。そしてマルクス経済学の研究者だったのだが、26歳でカメラの魅力に取りつかれる。同じくフランスに亡命した若い建築家だった妻が購入したカメラを手にしたことからだったという。
そして彼が捉えた人間の営み、自然の相貌、それらはリアルに実写されながら、実際に目にしたものがそのまま芸術的なものに昇華されていた。フレームに切り取ったものがそのまま手を加えることもなく、またモデルに様々な注文をつけ、配置や構図を構成することなく、芸術的な形象となる。一瞬の切り取りなのに、見事に対象の相貌を捉える。構図やモチーフの配置、それらを一瞬にしてベストなものとして構成してみせる。
サルガドという写真家はまさに神の目をもった写真家だったのかもしれない。
造形芸術のなかで写真と絵画、いずれもの3次元の自然的対象を2次元的な表象として再構成するメディアといえるかもしれない。より写実的かつスピーディに写し取るのがおそらく写真ということになるのだろう。写真の出現が、絵画表現としての写実主義から印象主義、作家の主観表現へと舵をとらせたとは、芸術史が教えてくれることだ。
写真はまさに写実に長けている。でもその本質をとらえるのではなく、あくまで皮相なうわべの部分を写し取るだけだ。絵画はよりその本質部分に肉薄する。だから絵画には優位性があるなどなど。
一方で、「ただ撮る」だけの写真から、写真家(=作家)の構想力によって構成された芸術写真も生まれてくる。モンタージュ、コラージュなど、様々な編集技術によって、写真もまた再構成されたアートになる。
しかし自然=対象をそのまま一瞬にして切り取る。その中に対象の本質性、背景とスポットライトを浴びた対象との関係性、あるいはフレーム外の自然や環境、社会との関係性すらも投射するような写真作品も生まれる可能性がある。それはまさに作家=写真家の神の目によって捉えられたものだ。それが自分にとってはセバスチャン・サルガドだったのかもしれない。
ご冥福を祈ります。





