足尾銅山観光の後、周辺の観光施設・名所などを検索して近くにあることを知り、行ってみることにした。
この美術館については、以前ネットで調べたことがある。花の詩画作家ということで、人気があることで興味を持ったが、肢体不自由な方が口に筆を加えて描いた絵に言葉を添えるということに、なんとなく興味本位的なものを感じ、ちょっとこれは苦手な分野かもしれないと思った。いくつか検索して表示された作品も、どこか凡庸な感じがしたし、なによりそこに添えられた言葉が、どこか相田みつお的なもの、あるいは宗教的なものを感じさせた。
とはいえだいぶ小降りになったとはいえ雨はずっと降っている。せっかく遠出をしてきているので、このまま帰るのもなんだなとも思い、雨宿りもかねて行ってみることにした。
足尾銅山観光から富弘美術館は国道122号を一本で20分足らずで着く。美術館は道沿いにある。美術館の先には草木湖が広がっている。

そもそもこの美術館、そして星野富弘という詩画作家はどういう人か。
富弘美術館はみどり市の公立美術館であり星野富弘氏の個人美術館だ。
星野富弘は1970年、24歳の時に事故で頚髄を損傷して、首から下の麻痺により四肢の自由を失う。彼の入院は9年にも及んだという。失意のなかで口に筆を加えて、文や詩を書き、絵を描き始める。それが各方面に評価され、全国で花の詩画展として巡回される。さらにその詩画集が出版され話題となりシリーズ化され、発行部数は累計で500万分以上というベストセラーとなる。ある意味、売れる画家となったわけだ。
その美術館は草木湖の畔にあり、かなり立派な建物だ。みどり市の公立美術館ではあるが、おそらく詩画集の印税なども寄与しているのではないかと、適当に推測してみる。もともとは美術館は同じ場所に1991年に福祉施設の建物を使った当時の群馬県勢多郡東村の村立美術館として開館し、現在の新館は2005年に建設された。美術館の入場者数は累計で700万人をこえるという。これはおそらく公立美術館としては異例の入場者数だ。単純に700万人を1991年から2024年までの33年間で割ってみると、1年平均21万人強ということになる。
おそらく各地の巡回展で作品に触れた人、シリーズ化された書籍を手にした人が、訪れ、さらにリピーターとなっているのだろう。展示してあるその詩画作品はたしかに心に響くものばかりだ。
とはいえこれは星野富弘のアーティストとしての独創性というよりも、やはりその肢体不自由でありながら、美しい絵を描き、言葉を紡ぐことへの共感があるのだろうとは思う。少し意地悪く考えると、もしもこの作家が健常者だったら、これほどの人気を呼んだだろうかと少しだけ考えてしまう。でもそれを考えても仕方がない。
実際に作品に接していると、その美しい水彩画、ペン画と、そこに添えられる心を打つ言葉には、ひそかな感動を覚えざるを得ない。肢体不自由で口に筆を加えて描く画家という特異性に耳目を集めるのだろうが、その絵にはきちんとした美術教育を受けていない自己流ながら、花や自然の様相を見事に再現し、そこに独自の美が込められている。口に筆を加えるスタイルで、わずか数年でここまでの画業を確立した点でいえば、星野富弘氏には相当な才能、画才があったことは間違いないところだ。
惜しむらくは、星野富弘は昨年(2024年)に呼吸不全のため78歳で死去されている。
最初、四肢不自由の寝たきりを余技なくされた星野富弘を熱心に看病したのは、母親だったという。なので作品の中には母への思い、感謝の言葉が沢山でてくる。そして彼のもとを訪れたキリスト教の牧師に励まされ、さらに彼の母親を助けるかたちで、信徒のボランティアが彼の世話をするようになる。彼は入院中にキリスト教の洗礼を受ける。信仰によって彼は心のささえを得る。そして彼を世話を引き受けたクリスチャンの女性と1981年に結婚する。妻はその後、彼をさまざまにサポートする。
星野富弘の詩画作品、そして彼自身、彼の家族、さらに周囲の環境、すべては善意によって構成されている。善き作家が、善き作品を描き、そしてそれを善き人々が支える。彼の作品を観て心を動かされた者は、一時の間であるかもしれないが、善き心の平穏を得る。ゆえに彼の詩画集は多くの者に支持される。その作品に接すれば、ひととき善き心でいられる。だから彼の作品に接するため、ある意味栃木の山奥にあるこの美術館にやってくる。そういうことなのだろう。
その美しい花の絵、紡ぎだされた言葉には、自分も素直に感動する。とはいえ同じような作品が続くと、なんとなく食傷とは言いすぎだろうが、少しだけお腹いっぱいな気分になる。でもその作品で心動かされた部分は、ずっととどまり続ける。
美術館のショップにはグッズとともに、星野富弘のシリーズ化された書籍が並んでいる。図録代わりにどれか一つ買ってもいいかなという思いになる。妻も一冊買って欲しいという。
どれにするかと何冊か手にとってみる。かっての職業的な悪い癖かもしれないが、まず中身よりも奥付を見てしまう。みんな凄い刷り数である。まさにベストセラーのシリーズだ。おそらく詩画集としては最初期のものである『鈴の鳴る道』の刷り数は500刷りをゆうに越している。記憶が定かではないが、たぶん700何十刷りという驚異的な重版だったみたいだ。出版社は偕成社だ。これは出版社にとってもドル箱のシリーズだったのだろう。
この初期作品にしようかと思ったが、念のためショップの女性に聞いてみた。
「星野先生の入門編というと、どの本がいいでしょうか」
すると一番目立つところに置いてある本を手にして、「こちらは星野さんが亡くなってから出版されたベスト版です。初期の作品から晩年のものまで網羅されています」と教えてくれた。
手に取ってページをめくると、さっき実際に観た作品も多数収録されている。なので早速購入することにした。
何点気に入った作品をあげておく。お叱りを受けたら削除するつもりだが、みんないい作品ばかりだ。そしてその中で特に心を動かされたものばかりだ。それは凡庸な水彩画であり、その言葉もどこかありふれたものかもしれない。でも善き心によって紡がれた言葉、描かれた絵には、観る者の心に善きものを生じさせる。それは信仰心とかそいうものにまだ昇華されない原初的な善意のようなものかもしれない。







美術館内には喫茶スペースもあり、草木湖の美しい景色を眺めながらお茶することもできる。色気から食い気にシフトしてシフォンケーキとドリンクのセットをいただく。これで750円は安すぎないかと思ったりもする。

埼玉から富弘美術館まではおそらく車で2時間弱である。そしてこれからも当分の間は、日光の健保の保養所に通うと思う。なのでこの美術館にはこれから何度も訪れるのだろうとは思う。俗人の自分でも、この作家の作品に触れることで、一時の間善人になれるような気がするので。
美術館を出ると雨はもう上がっていた。建物の脇にある遊歩道へと足を向けると眼前に草木湖の風景が広がる。美しい美術館と美しい作品、そして美しい風景だ。


美術館から少し車を走らせると、草木ダムがある。そう草木湖はダムなのだ。そこには湖とダムを見下ろす展望スペースがある。そこからの景色もなかなかなものだ。富弘美術館と草木湖を周遊する。それだけで幸福な一日になるかもしれない。




