MOA美術館へ行く(2025年4月16日)

 伊豆旅行初日、MOA美術館へ行った。

 ここは2月の「名品展」の時にも訪れている。伊豆旅行の定番になりつつある。

「広重 EDO×TOKYO 今と昔」

 

 今回の企画展は22日に終了した歌川広重の企画展「「広重 EDO×TOKYO 今と昔」。広重の『江戸名所百景』と現在の風景写真を対比させるような試み。

広重 EDO×TOKYO 今と昔 – MOA美術館 | MOA MUSEUM OF ART

 全体として展示してある版画は、色合いが鮮やかでベロ藍と呼ばれる青の発色も良いように感じられる。おそらくMOAの所蔵品は初期刷りなのかもしれないと思ったりもした。

ベロ藍

ベロ藍は、江戸時代に西洋から輸入された鮮やかな青色の絵の具で、ベルリン藍またはプルシアンブルーとも呼ばれます。浮世絵の風景画に用いられ、北斎や広重などの絵師が愛用したことで知られています。
ベロ藍は、ドイツのベルリンで偶然発見された化学的な合成顔料です。江戸時代に日本に輸入され、それまでの植物性の藍(つゆ草や本藍)にはない鮮やかな透明感のある青色で、海、空、水などを表現する幅を大きく広げました。特に、葛飾北斎の「富嶽三十六景」シリーズには、ベロ藍が多用され、美しい青色で知られています。
ベロ藍の登場は、浮世絵の風景画を大きく発展させ、江戸時代の浮世絵界に大きな影響を与えました

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天才絵師・北斎の愛したブルー「ベロ藍」|【北斎今昔】もっと知りたい、浮世絵の「今」と「むかし」

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浮世絵の初刷について

 

 本企画展では、広重の描いた「江戸百景」と現在の風景写真とを比較する試みや大画面による大画面の「オリジナル・フィルム・プロジェクション」も一室で公開されていて、なかなかに見応えがあった。

 気になった作品をいくつか。

 

東海道五拾三次之内 品川 日之出》(保永堂版)

 品川の風景。当時は海を見下ろすような際際に道路があり、宿があったのかと思ったりもする。そして濃淡で色分けされた海と朝焼けの空の藍色。

 

《江戸名所 お茶の水》 

 お茶の水のお堀の18世紀の風景。このお堀は実は本郷台地を掘削して造った人口のお堀だったとか。17世紀に仙台伊達藩によって行われた大規模土木工事によるもので、仙台濠と呼ばれる人口の渓谷だったとか。

御茶ノ水は人工の渓谷だった|太田記念美術館

元和6年(1620)、秀忠の命を受け、伊達政宗が工事を担当して仙台濠の原型が作られ、万治3年(1660)には仙台藩四代藩主である伊達綱村が拡幅工事を担当しています。

 とあるので、おおよそ40年近く工事が行われたということなのか。

 今もお茶の水駅周辺は工事が行われている。けっこう長く続く工事という印象があるが、江戸時代のそれは気の遠くなるような年月だったということのようだ。

 

飛鳥山花見之図》

 

《東都名所 浅草金龍山年ノ市》

 川瀬巴水の雪の芝増上寺の絵など、なんとなくこういう色合いなど参考にしたのかなどと思えてくる。

 

《六十余州名所図会 美作 山伏谷》

 雨風をあおられる人々やしなる木々の姿で表したり、あるいは線描で描いたりと様々な表現は広重の独壇場かもしれない。この太い帯状の風雨の表現は進取だ。そして一目でもの凄い風雨の情景がわかる。当時としても斬新な視覚表現だったのだろうと思ったりもする。

 

《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》

 言わずと知れた広重の代表作。そして今現在の風景はこちらになるようだ。

 

 

《名所江戸百景 芝うらの風景》 1856年

 芝浦海岸の風景で、浜離宮を海側から描いている。奥にはお台場周辺を見渡しているという。ようは勝どき地区、豊洲有明といった埋め立て地は18世紀には当然のごとくなかったということ。浜離宮側からは広い東京湾の眺望が見渡せた。今や埋め立てられた湾岸地区、浜離宮の後方の汐留地区側、すべて高層ビルが立ち並んでいる。

 さらにいえば浜離宮と水路を隔てた築地側は、現在は築地市場の跡地となっているが、これから10年くらいの間には、新たな高層ビル群が林立するようになる。150年という年月は、都市の景観を大きく変えるということを一枚の版画から思ったりもする。

 

 一室を使ったプロジェクション映像は精微で画質も美しく、次々と映し出される作品映像にはしばし見とれる。

 

 

 

日本庭園ー茶の庭

 MOAにはかれこれ両手くらいは行っているけれど、本館1F前の日本庭園「茶の庭」には行ったことがなかった。ここは階段を下りていくことになるので、車いすの妻を連れてというと、ちょっと行きにくいということで敬遠してきた。今回はというと、昨年来ずっと日本庭園巡りを続けていることもあり、ちょっと興味がある。閉館間際で30分もないくらいだったが、妻を本館に残して一人で巡ってみることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全体として茶室の周囲を巡るような露地庭園で、管理というか細かく手が入っているという印象がある。今回は新緑の時期だったが、たぶん11月から12月にかけては紅葉が鮮やかに彩るのだろう。

 

 園内には尾形光琳が最晩年を過ごし、《紅白梅図》を描いたされる屋敷を、光琳自筆の図面と大工の仕様帖を元に復元した光琳屋敷がある。その内部も見学できるようになっている。

 

 

 

 

 

 日本庭園は階段を下りてから巡る。そのうえけっこうアップダウンもあるので車いすを押してというのは難しい。とはいえ階段には手すりも施されているので、時間があれば妻ゆっくりと階段降り、あとは手をひいていけばすべてを回ることはできないにしろ、少しは雰囲気を味わうことができるかもしれない。これは次回、時間と体力があればということにしておくつもり。