東北旅行に行ってきた

 16日から19日まで4日間、東北旅行に行ってきた。

 妻が前から平泉に行きたいと言っていたので、なんとなくラストチャンスかなと思い決行した。回ったのは岩手で平泉と遠野。宮城で松島と仙台。4日間の走行距離は1187.6キロだった。

 

 

 まずは簡単な旅程について。

 

10月16日  (水)

 朝、5時半頃にディープ埼玉を出発。圏央道から東北道に入り一路北上。ノンストップで埼玉、栃木、福島と通過。できれば宮城県まで行きたかったが、県境に近い国見SAで休憩。

 そこからは宮城県を一気に通過して岩手県へ。平泉前沢インターで降りて平泉に。ここでは中尊寺毛越寺という定番コース。中尊寺はなぜか妻がずっと行きたいと行っていたのだが、多分テレビかなにかの影響かと。

 中尊寺毛越寺ともにまだ紅葉は進んでいない。猛暑の影響なのか、10月中旬ながらまだ紅葉の時期にはかなり早い感じである。

 毛越寺のあとワンちゃんありかと思い、ネットで調べておいた厳美渓なる観光名所にも立ち寄る。

 宿はビジネスホテルでルートイン一関。東北道一関インター至近で交通の便の良さで選んだ。今回、ここに二泊して、さらに仙台から比較的近い多賀城のルートインに泊まった。ビジネスホテルのユニットバスは狭く、また浴槽も滑るので、妻の入浴はけっこう難しいのだが、工夫とこれまでの経験で三泊ともきちんと入浴させることができた。

 夕食はホテルの近くのまるまつというファミレスへ。なんでも東北のみで展開しているチェーン店らしい。5時からず~っとハッピータイムということで、ドリンク類は全部100円引き。生一杯440円が340円というのが嬉しい。まあ旅行に出てもいつも通りの貧乏な食事をしているなあ。

10月17日(木)

 ルートインの早期予約特典で朝食バイキングが無料。たぶん混むことを考えて朝7時頃に朝食をとる。いつもの出版健保だと7時45分からなので少し早い。ウィークデイでもルートインはけっこう混んでいる。客層も多彩で、我々のような観光に来た高齢夫婦連れ、出張で泊まるビジネスマン、ガテン系の職人たちなど。彼らが入れ代わり立ち代わりで食堂に入ってくる。食事時間は15分からせいぜい30分くらい。うちは妻が片手ということもありいつもけっこう時間がかかる。多分、ルートインの朝食バイキングで滞在時間1時間以上というのは、うちくらいかもしれない。

 連泊ということもあり、朝はゆっくりグダグダとしていて、10時半過ぎにホテルを出る。まずはガソリンを入れてから、この日の目的地の遠野を目指してナビを入れると、ナビは延々と下道を案内する。なんとなく東北道で花巻まで行ってから下道へと考えていたのだが、ちょっとちがうようだ。あとで調べると県道14号線を北上してから、江刺田瀬ICで釜石自動車道に乗り、遠野ICで降りた。

 これまで岩手には三度来ている。

 最初は友人とのグダグダ旅行。上野発の夜行列車に乗り、早朝、平泉に着き、中尊寺毛越寺を回った。大学内の書店に勤めていた頃で、12月はクリスマスを過ぎると休みになる。そういう時期に行ったので雪が降り積もるような時期だった。これはもう40年以上前のことだ。

 二度目は結婚した翌年の1996年のことなので28年も前のことになる。そのときは、妻と二人で八幡平の民宿に泊まり、小岩井、八幡平、花巻、盛岡、秋田の角館などを周遊した。

 三度目は2012年で、会社のオヤジ連中六名での旅行だった。二泊で秋田の男鹿半島と岩手の花巻に一泊ずつした。あのときも車は自分のステップワゴンを供出し、私ともう一人が交代で運転手をした。一応、当時も役員のはしくれだったが、二人は自分より上位の役員、残りの三名は取引先のお偉方だったか。

 そのときに誰が言い出したのか、遠野のふるさと村に行った。古い茅葺の曲がり家を集め、遠野の山里を再現した野外博物館。このときの印象が妙に強く、もう一度行ってみたいと思っていた。

 遠野ではこのふるさと村の他に、伝承園という同じように古民家を集めた施設にも行った。

 そして最後に花巻に足を延ばし、萬鉄五郎記念美術館にも行ってみた。着いたのが4時過ぎで滞在時間は1時間弱だったがなかなか居心地の良い美術館だった。ここは最初に岩手に来たときに、看板を見つけて「まんてつごろう」って誰だと思ったことを懐かしく覚えている。28年前の自分は絵のことなどまったく知識がなかった。まあそういうものだ。

10月18日(金)

 旅行三日目。ルートイン一関の宿泊は終了。前日、頑張って妻を入浴させたので、朝は朝食、その後の支度もスムーズで、10時前にチェックアウトできた。

 当初は釜石方面に出て、三陸を海岸沿いに南下したいと思っていたが、できれば松島観光もしたい。そうなるとウィークデイのほうがいいかと思い、松島観光に全振りすることにした。

 11時過ぎに松島に到着。事前に駐車場は調べておいたが、遊覧船乗り場に一番近い松島公園の近くにある第四駐車場に止める。

 あいにく松島は小雨がしとしと降っている。天気予報は曇りだったが、残念ながらずっと降ったりやんだり。ときおり雨脚が強くなる。そんななか、車椅子の妻には傘をもたせ、自分は濡れるがままというかたちであちこち回った。

 松島には1994年に一度来ているので、30年ぶりということになる。そのときは奥松島に泊まり、金華山とかそっちに行ったりしたので、松島ではほとんど観光らしい観光はした記憶がない。おそらく松島公園から遠くの島々を観たくらいだったのではないか。松島の絶景がさほど印象に残っていない。

 ということで今回は、一応観光名所はだいたいあたりをつけようと、湾内一周の遊覧船に乗る。五大堂にも行く。252メートルあるという福浦橋も渡った。そして伊達藩の菩提寺で建物が国宝となっている瑞巌寺にも行った。本堂内には複製ながら見事な障壁画が飾られていて、見るべきものも多かった。近くの円通院にも行ったが拝観時間の4時を回っていたため、こちらは観ることができなかった。

 その後は予約をいれてあるルートイン多賀城東へ。ここにしたのは、仙台市内のビジネスホテルはやや割高で、駐車場を別に探す必要があるのに対して、ここらだと駐車場が無料だったことと、ツインベッドの部屋がとれたことなどから。ただし部屋は一関に比べてやや狭く、スーツケースを床に広げることはできない広さで、そのへんはけっこう難儀した。

 夕食は多賀城駅周辺で探したが、なんかこのへんは飲み屋はあるけど、外食屋さんが少ない印象。車椅子を押して町中を歩き回ってようやく見つけたとんかつ屋に入った。

 

 

 松島から塩釜、多賀城と車を走らせていてちょっと気がついたのは、塩釜から多賀城あたりを走る鉄道がすべて高架線になっていること。当然駅もほとんどが高いところにあった。これって多分、震災以後に高架線にしたのではないかとちょっと思ったりもした。

 東日本大震災での津波でこのあたりは大きな被害を受けた。その復興事業の一つで、津波にも対応できるようにということで高架線になったのではと、なんとなく想像してみた。

 多賀城駅に隣接した市立図書館は、ガラス張りで中の開架棚がよく見える。高い書架が遠目からでもけっこうインパクトがある。そういえば多賀城市立図書館は、CCCが運営するいわゆるTSUTAYA図書館だ。館内にスタバもある例のお洒落な図書館だ。ちょっと中に入ってみたくなったが、長くなりそうなのでパスした。

 

10月19日(土)

 旅行四日目。 

 最終日は仙台市観光。まずは青葉城址で定番の伊達政宗騎馬像を見学。仙台に来るのも30年ぶりなのでこれも久々のご対面というところか。

 

 

 1994年に妻と奥松島、金華山と周遊し、最後に仙台市内を少しだけ回った。そして翌年結婚したのだったか。そのときは妻も当然元気だったし、金華山の頂上付近にある奥の院まで登ったときなど、サンダル履きの妻に数10メートル差をつけられたことなどもあった。妻は高校時代にほんのわずかだが登山部にいたとか、そんな話を聞いたのもその頃のことだ。

 まさか30年後に、妻が車椅子生活者になって、彼女の車椅子を押してあちこち回ることになるなんて夢にも思わないことだけど、まあそういうものだと。

 青葉城の次には伊達政宗の霊廟があるという瑞鳳殿へ。ここもかなりヘビーなバリアだらけだったが、なんとか本殿まで行くことはできた。10月の今の時期は本殿の中の仏像を見ることができる。いわゆる御開帳というやつだった。

 一応観光はこの二か所で終了。その後は仙台駅付近を車で回り、駅から少し離れたビル型の駐車場に車を止める。そして仙台の有名なアーケード街を周遊。

 

 

 せっかくなので、スマホで検索して一番近くにありそうな牛タン屋に入って牛タン定食を食べた。仙台の牛タン屋は数多あるようで、高級なところ、大衆的なところなどいろいろ。入ったのは利休というチェーン店で、どちらかといえば安価な牛タンを提供しているところのようだ。ふだん厚切りの牛タンなど食べないので、まあまあ普通に美味しかった。二人で4千円弱と牛タン定食としては割安だったので、多分もっと高くて美味い店がいくらでもあるのだろうとは思った。でもまあまあ中ぐらいの満足はあったか。

 

 最後に駅ビル地下の土産物店街で土産物を物色。牛タンやら萩の月やらずんだもちやらを購入。

 帰りはまず仙台市街を出てガソリンを入れようと思ったのだが、なかなかガソリンスタンドがない。しかたなく国道4号線に出て名取まで行ってから給油。高速にのったのは白石から。

 途中、運転していて、首、背中、腰の痛みや睡魔が襲ってきてしんどくなり、高速に入って最初のサービスエリアの国見SAで休憩。そこで2時間近く仮眠をとった。偶然だけど、行きも帰りも国見で休憩ということになった。

 仮眠後はノンストップで埼玉まで走り続けて、帰宅は12時半くらいになった。

 なんだかんだで1200キロ弱を運転。あちこちの観光ではずっと車椅子を押していて、平均すると8.3キロくらい歩いたことになる。さすがにアラ古希には少々ハードな旅行だったかと思う。まあ多分、こういうハードな旅行はこれが最後かもしれないと思ったりもする。まあ70までは年に1度くらいは遠出したいとは思っているけれど。

 7月に車を買い替えて三か月で走行距離も5000キロを超えている。寺社に参拝してお祈りするときには、妻と子どもの幸福を祈る。そしてもう少しだけ自分も健康でいられるようにと付け加える。もう少しだけ、もう少しだけ。そういうことだ。