美術史と神経科学

 18日、朝日の夕刊の美術欄にちょっと面白い記事があった。

「美術史と神経科学 脳は美をどう捉える」

(閲覧:2023年4月19日)

 美術史学者小佐野重利氏が提唱した「実験美術史」の研究報告を伝える記事である。

 そもそも「実験美術史」とは、記事によると美術史を鑑賞者の視点から捉え直すため、鑑賞者の脳が美をどう捉えているかを探る研究だという。

 今回の研究では、カラヴァッジョとモンドリアンの作品画像を美術史専攻学生と一般学生に見せた時の視線と脳の活動を測定する実験について報告されている。

 カラヴァッジョの作品は《トカゲに噛まれた少年》で、視線については美術史の学生は花瓶への注目が高く、MRIでの脳の活動を測定したところでは、痛みに慄く少年の顔を見た時に、ホラー映画の鑑賞時と近い部位の活動が大きかったという。

 《トカゲに噛まれた少年》はこういう絵だったな。

《トカゲに噛まれた少年》 カラヴァッジョ 1596-97年頃 ロベルト・ロンギ美術史財団

 

 朝日の記事では、水差しに人物が映り込むとなっているが、自分には部屋の一部が映り込んでいるように見える。この絵は2016年に西洋美術館で開かれた「カラヴァッジョ展」で観ているが、けっこうインパクトがあった。ちょっと間抜けな男の「イテテ、イテテ」と言ってるような様子がなんとなく可笑しく思えた。多分、当時でもこういう絵が風俗画として人気があったんだろうな。「こいつ、トカゲに噛まれてるは」みたいな観客の嘲笑が聞こえてきそうな絵である。これをホラー映画と同じような反応を脳は示しているのかというと、なんとなく「ウ~ム」と思ってしまったりもする。

 同時にモンドリアン幾何学抽象画については美術史専攻学生も一般学生も同じような反応を示したというのもなんとなくうなずける。「結局、よくわからないや」というところなのかもしれない。

 視線については眼鏡型測定装置を使うようだが、脳の活動・反応については絵を観ながらMRIを測定するというのも面白いと思った。自分的にはなんとなく頭蓋骨を外した半麻酔状態の被験者に絵を見せて、脳の電気信号を測定するみたいなちょっと残酷なシーンをイメージしたのだけれど。

 美、あるいは美的作用を脳神経科学から研究するというのは斬新な反応だけれど、旧来の美術愛好者や美術史家からはなんとなく反発されるようなこともあるかもしれない。美をどう感じるかはきわめて恣意的、カント的にいえば趣味的判断の領域であり、それを科学的にパターン化したり、計量化するのは無理があるという意見は当然あるのだとは思う。

 でも、美的反応も他の情緒的反応と同じく認知心理的なものかもしれない。というか人間の思考にしろ、文学や音楽などの諸芸の享受も結局、視覚、聴覚、触覚などの感覚とそれを認知することによって生成される反応かもしれない。認知心理学や脳神経学的にいえば、すべて脳の中での電気信号によって引き起こされる反応みたいなことになってしまうのかもしれない。そうなると崇高な美的経験もちょっと淋しいものになっていくような気もしないでもない。

 とはいえ、今回の「実験美術史」なるものは、まだ研究の端緒みたいなところらしい。大いに研究を進め、様々な美的反応についての認知心理や脳神経科学などの科学的なパターン化を進めるには一定の意義があるかもしれない。

 ここにも多分ChatGPT的なAIが関与してくるかもしれない。美的反応のパターン化は、作品制作などにも換用されるかもしれない。なんかいきなり無味乾燥なつまらないものになるかもしれないが、それこそカント的な趣味判断についても、データを蓄積させることで何通りかのある種のパターンが生成されるかもしれない。

 しょせん人間の認知や思考も脳の中の電気信号だとしたら、それもまたある種の帰結といえる。それでも新たな創作、新たな美が生み出される。それは蓄積された美的データとそこから導き出されるパターンからの逸脱みたいなことなのかもしれない。

 しかし世の中にはいろいろな研究が行われているのだなと、ちょっと感心してみたりする。

KAKEN — 研究課題をさがす | 美術史と神経科学の協働実験美術史―カラヴァッジョ絵画の鑑賞者の心の深層を探る― (KAKENHI-PROJECT-19K21605)

(閲覧:2023年4月19日)