新年を迎えていきなり年末の話から。
27日から子どもが実家に帰ってきていた。そうなるとおもてなしではないが、好きな料理を作ってやったりと、けっこう父はたいへんなのではある。まあパターン化してるが、豚の角煮やら、ステーキやら、土壇場でカレー作って非常用におもたせしたり。なんやかんやで大晦日に千葉の家に送っていった。正月は友人たちや彼氏さんと楽しく過ごすらしい。
前日の30日はとんぼ返りで妻の実家のある長野に行って来た。コロナとか諸々あり、顔を出すのは2年ぶりくらいになるのだろうか。85歳の義母はまあまあ元気にしている。同じく帰省していた義弟家族とも久しぶりに再会。義兄(といっても年下)は仕事で帰ってきたのが7時過ぎ。それから夕食を共にしてから8時半過ぎに帰ることにする。
その後、長野に住んでいる別の義弟の宅にも顔を出し、年末だが年賀の品と子どもへのお年玉を渡して玄関先で失礼した。まあ次いつ来ることが出来るか判らない。それを思うと、会える時に会っておきたいとは思った。妻も親や兄弟と久しぶりの再会を喜んでいた。
長く続くパンデミック=コロナで日常は大きく変わった。冠婚葬祭も少人数でやるのが普通になってしまった。多分、盆暮れを故郷で過ごすという帰省という習慣も、20世紀までとは違う形になっていくかもしれない。顔を会わすということでいえば、もはやリモートでどうにでもなる時代が来ている。パンデミックは我々の日常を違うものに変えてしまったのかもしれない。
ということで大晦日、子どもを送ったついでに最初三人で幕張のイオンタウンに行く。正月の買物をと思っていたのだが、もうおせち料理はほとんどなし。多分、おせちのセットや蒲鉾などがあったところには、大量の年越しそばなんかが置いてあった。
仕方なく中トロの3000円くらいするのが半額になっていたので、子ども用と家用の分を購入。さらに子どもと別れてから千葉近辺のスーパーの閉店間際で飛び込むも、生鮮食品系はすっからかんになってる。おせちの割引とか期待してたんだけど、なんもなし。仕方なく玉子のパックや納豆なんかを買って終了。
今はロスの問題もあるから、細かい仕入れして、早目に売り切るようにやっているのだろうか。自分も一時期流通とかにもいたことがあるから、なんとなく判るけど、販売方式としてはイケイケドンドンで仕入れて多少売り残すやり方ときっちり販売してロス出さないやり方とかある。今はPOSなどコンピュータ管理が徹底しているから、大量仕入れよりも適正仕入れが徹底しているのかもしれない。
友人の中でずっと流通畑やっていて、口癖は「私が嫌いな言葉はチャンスロス」っていうのがいるけど、そろそろこういうのは古いのかもしれない。最近は多少のチャンスロスあっても、その分コストカット出来れば結果オーライというのがデフォルト化しているのかも。
ということで11時過ぎに帰宅。久々妻と二人で新年を迎えることに。まあここ何年かは多分たいていの場合、新年はどこか旅行先で迎えるということでやっていたような気もしている。とりあえず後片付けして11時30分頃にスタート。簡単な食材をテーブルに並べてカウントダウンからの「ハッピーニューイヤー」。
まあお互いがお互いに望むのは、とにかく健康でいてもらうことだけ。自分的には、妻には今の障害の状態がこれ以上悪くならないことをとにかく望む、それだけ。今の状態であれば、好きなものも食べれるし、二人で美術館にも旅行にも行ける。自分自身も日々老いていくけれど、あとしばらくはそういう生活を続けていきたいと、まあ細やかな望み、希望、願望、その他もろもろ。
新年を迎えてから大晦日の新聞を見てみると一面にサッカーのキング、ペレと建築家磯崎新の死亡記事が。
ペレさん死去 サッカーの王様:朝日新聞デジタル (閲覧:2023年1月2日)
磯崎新さん死去 ポストモダン建築先導:朝日新聞デジタル (閲覧:2023年1月2日)
正直、ペレについてはよく知らない。ニュース映画の類でスェーデンで開かれたワールドカップの映像とか、ブラジルが三度目の優勝した1970年のメキシコ大会の映像とか、そのへんのことしか知らない。そういう意味でいえば、自分のサッカーを観始めた頃のスターというと、やっぱりクライフやベッケンバウアー、そしてマラドーナあたりに収斂されてしまうような気もする。ほぼそのへんが年齢的にはやや上か、あるいは同世代あたりになるか。まあマラドーナは6歳くらい下になる。
自分と同世代のスター選手ってどのあたりなんだろうか。思いつくままに書いてみると。
ペレ 1940-2022 82歳
リベリーノ 1946- 77歳
クライフ 1947-2016 68歳没
ベッケンバウアー 1945- 78歳
ゲルト・ミュラー 1945-2021 75歳没
プラティニ 1955- 68歳
ジーコ 1953- 70歳
ケビン・キーガン 1951- 72歳
リネカー 1960- 63歳
ソクラテス 1954-2011 57歳没
ファルカン 1953- 70歳
ルンメニゲ 1955- 68歳
マラドーナ 1960-2020 60歳没
マテウス 1961- 62歳
フリット 1962- 61歳
ライカールト 1962 61歳
ペレは戦中派、ベッケンバウアー、クライフあたりが団塊の世代、そしてプラティニやルンメニゲあたりがほぼ同世代となる。ペレのことをあまりよく知らないのは、多分60年代から70年代の初期は、海外サッカーの情報が皆無だったからか。そういう意味ではテレ東で放映していた三菱ダイヤモンド・サッカーの存在は偉大だったんだなと思う。そしてマラドーナやマテウスの時代は、もう自分にとってサッカーのスターはみんな年下の世代になる、そういう大人の階梯を登りつつある頃だったんだなと思ったりもする。
こうやってメモにすると、例えばルンメニゲは、70年代単独チームとしてバイエルン・ミュンヘンが訪日して日本代表と数試合フレンドリー・マッチを行ったときのメンバーだった。期待の若手として抜擢されたとかいうふれこみで、日本代表の右サイドをメタメタに切り裂いて数点入れたのを覚えている。小僧みたいな若手が出てくるなと小僧の自分が思ったりもした。その後はあれよあれよと西ドイツの主力になっていったっけ。
しかしペレ逝った。すでに2年前にマラドーナが逝き、クライフに至ってはすでに鬼籍に入って7年が経つ。多分これからも、我々の心を躍らせたスーパースターの訃報に触れる機会は多いのだろう。歳を取るというのはそういうことだ。
磯崎新についてはポストモダンとかなんとか。近々群馬県立近代美術館にも訪れたいとは思う。あそこは本当に心地よい美術館だから。