反射炉と江川邸 (3月31日)

韮山反射炉

 伊豆パノラマパークのあと、割と近くだというので韮山反射炉に行ってみることにした。ここは幕末期に政府の高官であり韮山代官だった江川英龍が建てた西洋式の反射炉=製鉄所である。江川はペリー来航に危機感を持ち、西洋流の大砲を作るためこの反射炉建設を建議し築造を行った。

 江川英龍反射炉については、自分はみなもと太郎の長編マンガ『風雲児たち』で知った。訪れたのはいつだろうとこの雑記の記録をみてみると実に2008年の11月のことらしい。もう14年も前になる。

江川坦庵 - トムジィの日常雑記

 本当に久しぶりに訪れた訳だが、反射炉周辺の景色がまったく変わってしまったうえ、韮山反射炉ガイダンスセンターという施設まで出来ている。

伊豆の国市/国指定史跡韮山反射炉

韮山反射炉 - Wikipedia

 そういえばこの反射炉世界遺産に指定されたという話を聞いたことがあった。2015年に明治日本の産業革命遺産の一つとして世界文化遺産に登録されたという。富岡製糸場などもそうだが、世界遺産に登録されると観光需要も高まるためか周辺を含め環境整備が行われる。ここもかなり大規模に整備されたようで、14年前の記憶とはまったく違っている。まああくまで周囲の環境整備だけで、反射炉自体は昔と同じではあるけど。

 広い駐車場から見た反射炉と物産施設。

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反射炉の奥は川に沿って遊歩道になっている。

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そして反射炉

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 しかしちょうど桜の季節だったということで、反射炉周辺の桜も満開である。反射炉と桜というのもなかなかないいい雰囲気である。

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江川邸

 反射炉の後、せっかくなので江川邸にも寄ってみることにした。

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重要文化財 江川邸

 ここも2008年に訪れているが、こちらはその時とほとんど同じである。ただし現在は主屋屋根工事をしているため建物の周りには足場が組まれシートで覆われている。

 ウィークデイのためか訪れた時には見学者は自分たちだけ。入邸するとすぐに女性のガイドさんが現れて、お時間があればご説明しますということなので諸々説明をしていただいた。

 それによると江川家はもともとは清和源氏の流れくみ、平安時代の武将源満仲の次男宇野頼親を家祖とし宇野姓を名乗っていた。それから8代目の親信が従者十三人を連れて伊豆韮山に定住したと伝えられ、その十三人の子孫は原罪でも江川邸住宅周辺に居住している。これ以後、鎌倉、室町時代に伊豆の豪族として定着し15世紀中頃に江川姓に改姓した。

 その後、北条氏の伊豆進出にあたって23代江川英住が北条家の家臣となり、28代英長が徳川家康に仕え、徳川幕府成立により伊豆が幕府直轄地となるに及んで、代官として伊豆を統治することになったという。

 家祖の宇野頼政は10世紀前後の人であるから、江川家の家系はゆうに1000年に及ぶことになるという。現在の当主の方は建築士をされているのだとか。

 その他、主家の原型となる建物は関ヶ原の合戦のあった慶長5年(1600年)前後に建てられたと推定されるとか、建物の柱に生えていたけやきをそのまま使っていたため「生き柱」と呼ばれていたという。この柱は土中にある部分が腐ってしまったためその部分を切断して展示してあった。たしかに途中細くなっている部分があり、そこが腐った部分なのだとか。

 展示品の中には江川英龍による絵もあったが、どれも玄人的で絵の才能もあったようだ。ガイドさんによると、江川邸には谷文晁もよく訪れていたらしく、英龍は文晁の絵をお手本にして絵の修行をしていたらしいとも。代官としての統治能力、またお台場築造を指揮したり反射炉建設を建議するなど様々に能力を発揮した人だったが、一方で文人としても才能を発揮する人でもあったようだ。

 英龍は蛮社の獄で断ぜられた渡辺崋山とも親しかったという。ガイドさんに崋山から絵を学んだことはあるのだろうかみたいなことを聞いてみた。ガイドさん曰く、英龍が崋山に師事したという記録はないようですとのことだった。あとでウィキペディアなどを見ると崋山に師事することを望んだが謝絶されたとあった。まあそういう説もあるというところなんだろうか。

江川英龍 - Wikipedia

 江川邸周辺も所々に桜があり、この季節ならではの風情があった。またいつか来ることがあったらこの季節がいいかもしれない。