まだら認知症について

 妻が脳梗塞を発症したのは40代半ばで、片麻痺高次脳機能障害となってから16年が経過している。当初から40代の障害者が受けられるサービスはほとんどなく、65歳未満でも介護保険サービスが受けられる16の特定疾病の一つ脳血管疾患ということで、ずっと介護保険サービスを受けている。リハビリ主体のデイケア、入浴などのデイケアなどだ。通所でそうした施設に行っても、周囲は30以上も年齢が上の高齢者ばかりだったので、最初はかなり違和感を感じ、出来ればやめたいという話をよくしていた。

 昨年、ようやく還暦を迎えたけれど、今でも周囲の利用者は70代後半から80代が中心で、90代以上も沢山いるという。多くの方が認知症を抱えているのであまりコミュニケーションが取れないという。その中でも比較的しっかりしている人とはよく話をしているという。そういう方は多くの利用者の中でも数人だという話。

 いつも入浴の時に一緒になるけいこさん(仮称)は、80代のおばさんで品があり割合しっかりしている人だ。数年前にダンナさんを亡くされ、今はマンションに一人暮らしだという。いつも気持ち良さそうにお風呂に入りながらこんなことを言う。

「お風呂は気持ちいいわね。いつもこんな広いお風呂に入れて本当にありがたいわ」

 少し前のこと、けいこさんは入浴の時いつものような話をしたあとでこんなことを言い始めた。

「お風呂は気持ちいいわね。いつもここでお風呂に入るから家で入らなくてもいいんだけど、夫がいるからお風呂沸かさなくちゃいけないんだよ」

 妻は、あれけいこさんのダンナさんは亡くなっているはずだけどと思った。そんな会話が何度か続いたある日、同じように家でもダンナさんのためにお風呂を沸かしているとけいこさんが言い始めると、たまたま一緒になった別のおばあさんがけいこさんの間違いを指摘した。

「あれ、けいこさん、もうダンナさんいないじゃない」

するとけいこさんはこう返事した。

「いるよ、夫は。あっちにもこっちにも」

「え~、なにそれ」

 妻は別の日に職員とけいこさんの話をした。職員の話だと、けいこさんは午前中は割としっかりしているらしいのだが、帰宅時間の頃になると言うことが支離滅裂になることが多いのだとか。帰りの車の中でも「どこへ連れて行くの」みたいなことを言い始めるのだとか。職員はそれを「まだら認知」だと言っていたとか。

 まだら認知症とは文字通り認知の症状がまだらに現れるものだという。

まだら認知症とは、その名の通り認知症の症状が「まだら」にあらわれることを言います。脳血管性認知症に含まれますが、あくまでも症状の呼び名であって、認知症の種類ではありません。

脳血管性の認知症によくみられる「物忘れはあるけど理解力は問題ない」「同じことができる時とできない時がある」など、症状に波があることが特徴的です

【医師監修】まだら認知症とは?症状や脳血管性認知症との関係性・予防法まで解説|サービス付き高齢者向け住宅の学研ココファン

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【知っておきたい】まだら認知症|LIFULL介護(旧HOME'S介護)

 

 一人暮らしのけいこさんが帰宅後、本当にお風呂を沸かしているのかどうかわからない。妻の話を聞いていて、旧式のガス釜の風呂だと火をつけっぱなしにしたら危ないなとか思ったりした。マンションの自動湯沸かしタイプだと湯が溜まるだけだから多分問題はないのだろう。

 時間によって症状の程度に差が出るのは、まだら認知の例のごく一部だという。さらにいえば引用したサイトにあるように、認知症の中にまだら認知症という種類があるわけではなくあくまで症例としてあらわれるということらしい。それは脳血管性認知症の一つの症例であるということだ。

 脳血管性障害のダメージにより脳の機能が低下。ダメージを受けなかった部分の機能は健在となるため、認知症状がまだらに起こる。妻の病気とずっとつきあってきているので、脳血管疾患に起因する障害が様々であることは知っている。妻の場合は右側頭葉と前頭葉に大きな梗塞巣があり、それによって左下肢、左上肢の機能は全廃している。ただし言語機能は問題はないし、嚥下障害もない。記憶についても短期記憶、長期記憶ともに問題はない。ただし注意障害についていえば、幾分反側無視があるのと注意の転換がうまくいかないことがある。

 高次脳機能障害については発症当時はかなりひどい状態だったが、急性期リハビリがうまくいったのか症状はだいぶ改善されている。それは15年経ってもほとんど変わらない。つまり悪くはなっていないということだ。でも、脳血管疾患により脳にダメージを受けているだけに、いつ認知症状が出てくるかわからない。

 もっとも認知症についていえば、還暦を遠に過ぎた自分だっていつそういう症状が現れるかわからない。こればかりは神のみぞ知るというところだ。朝、普通に話をしていたり、午前中に新聞を読んだり本を読んだりしていたのに、午後になると自分が何をしていたのか、あるいは自分がどこにいるのかすらわからなくなる。そういうことがいつ起きるかどうかわからない。高齢者にはそういう可能性がいつもあるということをどこかで覚えていた方がいいのだろうと思う。