マイク・ネスミス死去

「モンキーズ」のマイク・ネスミスさんが死去 セブンのCMソング:朝日新聞デジタル

モンキーズのマイク・ネスミスが死去 - amass

 一昨日だったか、妻がリビングから「モンキーズのマイクが死んだって、テレビでやっているよ」と声をかけてきた。すぐにネットで調べると訃報の記事が出ている。デイビー・ジョーンズ、ピーター・トークが逝き、マイク・ネスミスが亡くなった。これでモンキーズはミッキー・ドレンツただ一人になってしまったか。

 モンキーズのテレビショーが放映されていたのは1967年~1969年の頃。多分、小学生高学年の頃だっただろうか、夢中で見ていた記憶がある。ナレーター、今風でいうとナビゲーターみたいなことを大橋巨泉がやっていたのをよく覚えている。

 すでにそれ以前から兄の影響でビートルズを聴いていたし、それこそハーモニカで「ラブ・ミー・ドゥー」や「恋する二人」なんかを見よう見真似でやっていたくらいだったから、モンキーズサウンドもなんか判りやすくすんなりと子どもの自分にも入ってきた。

 モンキーズは、アメリカの音楽業界がビートルズに対抗するグループを売り出そうとして企画されたバンドだった。そのことも子どもの自分にもなんとなく情報として入ってきたので当時からけっこう有名なことだったのだと思う。でも、彼らの楽曲は当時売れっ子のソングライターが多数提供していたことは後から知った。それこそキャロル・キング、ニール・ダイヤモンド、ニルソン、ニール・セダカなどなど。

モンキーズ - Wikipedia

 テレビショーでの演技でも、マイク・ネスミスにはあまり気のりしてない雰囲気が漂っていたし、その分演奏シーンではセミアコを惹いてるのがカッコ良かった。そしてトレードマークのニット帽も。それまであの毛糸の帽子は我々の世代からすると漫画の正ちゃん由来の正ちゃん帽という名前で、さほどファッションという感じのない防寒ものだったのだが、マイク・ネスミスのそれはファッショナブルな感じがした。当然、よく真似て被っていたのを覚えている。ある意味、モンキーズの四人の中では一番クールな存在ということで、一番好きなのがマイク・ネスミスだった。

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 モンキーズは作られたバンド、アイドルというイメージが強かったが、その中でもなんとなく一番ミュージシャン的な雰囲気を醸し出していたのもマイク・ネスミスだった。実際、楽曲を提供したりアルバムでの演奏にこだわっていたのも彼だったらしく、スタジオ・ミュージシャンの演奏に彼らのボーカルだけをのせるという当初のアルバム制作に一番反撥していたのも彼だったとか。

 もっともミュージシャン志向という点では、モンキーズの中ではオバカキャラを演じていたピーター・トークも実はニューヨークで音楽活動をしていた。その時、一緒に活動していたのが、スティーヴン・スティルスで、モンキーズのオーディションも二人とも受けていて、ピーターが採用されたというのは有名な話だ。晩年、彼が小さなホールでギター一本の弾き語りでモンキーズのヒット曲「Pleasant Valley Sunday」を演奏している動画を見たことがあるけれど、そのギターは手慣れた感じで見事な演奏だった。

 モンキーズが解散したあと、マイク・ネスミスはすぐに新たなバンド、ザ・ナショナル・ファースト・バンドを結成して「シルバー・ムーン」をヒットさせた。その後もカントリー・ミュージックのシーンをメインに活躍していたという話もよく伝わってきた。しかし、ザ・ナショナル・ファースト・バンドっていかにもディープ・サウスというか、共和党的というか、ドナルド・トランプが喜びそうなバンド名だ。

 これもけっこう有名な話で、自分もずいぶんと前に知ったことだが、マイク・ネスミスの母親は修正液の発明者でベティ・ネスミス・グラハムという。なので、マイクはえらい金持ちのお坊ちゃんということになるらしい。ベティは1980年に56歳で亡くなっているが、マイク・ネスミスは母親の遺産を2500万ドルを相続しているのだとか。金には困らない人生を送ったんだろうと適当に想像している。

Bette Nesmith Graham - Wikipedia

 改めてモンキーズの曲をYouTubeで聴いてみる。CDもベスト盤を1枚くらいは持っているのだけど、探すのがちと面倒くさい。その点、YouTubeは一発で検索ヒットするので簡単便利。

 

 まずはデビューシングル。


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 シングル第二弾、ニール・ダイヤモンドが楽曲を提供。


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 個人的には一番好きかもしれないのがこの曲。楽曲提供はキャロル・キング。このギターのイントロは最高に好き。テレビでのモンキーズの演奏は全部口パク、当てぶりらしいけど、マイク・ネスミスなら軽く弾きこなせるのではないかと思っている。


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 これがマイク・ネスミスが作曲作詞した「The Girl I Knew Somewhere」。当初、3枚目シングルのB面に予定されていたのをプロデューサーであるドン・カーシュナーに差し替えられ、マイク・ネスミスがこれに反旗を翻して、結局カーシュナーをクビにすることになったという曲。


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 さらにマイク・ネスミス作曲作詞の曲をもう1曲。この「Mary, Mary」はモンキーズでのオリジナルではなく、もともとマイク・ネスミスがポール・バターフィールドに提供した曲なのだとか。モンキーズのメンバーがポール・バターフィールドに楽曲提供、これだけでなんか凄いことのように思えてくるな。


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 最後にマイク・ネスミスの独立後の最初のヒット曲「シルバー・ムーン」。


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  最初にも書いたように、モンキーズのメンバーはミッキー・ドレンツただ一人になってしまった。そしていずれは彼も向こうの世界に逝ってしまうのだろう。活躍したのが50年以上前のことなのでこれは残念だけどいたしかたないことだ。ビートルズも残っているのは二人だけ。ローリング・ストーンは三人残っているか。

 その音楽に興じた我々もすでに60代の後半になろうとするくらいだ。我々を熱狂させたロック・スターたちが後期高齢者となり80代になろうかする。20世紀は遠い昔のことになろうとしている。

 マイク・ネスミス、ご冥福をお祈りします。