小椋佳のこととか

 朝日新聞に折込で入っているフリーペーパー『定年時代』に小椋佳のインタビューが載っていた。なんども来年1月にキャリアの最後のとなるファイナル・コンサートを行うというのだ。

定年時代/東京版/令和3年12月上旬号

 『定年時代』という高齢者向けフリーペーパーは1998年に創刊されたもので、月に2回刊行されている。広告をみると「出版への第一歩」という自費出版、「自宅・実家の整理・整頓ー不要なもの買い取ります」という骨董屋、「愛着のあるイスやソファを張り替えてみませんか」という家具屋の広告など、いかにも高齢者が関心を寄せるようなものが並んでいる。

 仕事をしている頃はこんなペラペラのフリーペーパーなど見向きもしなかったのだが、さすがにリタイアした身となると、なんとなく目にしてしまう。まあそういうものだ。

 小椋佳についていえば、第一勧銀の銀行マンでありながらシンガー・ソングライターを続ける稀有な存在として有名だし、それ以前に彼の楽曲「シクラメンのかほり」、「俺たちの旅」、「愛燦燦」、「夢芝居」などフォーク、歌謡曲、演歌などでミリオン・セラーを連発したある意味では昭和を代表する作曲家の一人といってもいいかもしれない。

小椋佳 - Wikipedia

 それにして記事中の彼の写真を見ると、77歳ずいぶんと年をとったなと思う。彼はデビュー時から恰幅の良い体型だったと記憶しているのだが、病気でもしたのだろうか。調べると20年くらい前に胃がんの手術をしているという。

息子から教えられた命の奇跡―小椋 佳 (歌手・作詩家・作曲家) | がんを明るく生きる | 「がん治療」新時代

 この記事で初めて知ったことだが、小椋の次男は14歳で脳梗塞となり、一時は植物人間になりかけたという。その後のリハビリによって回復し、今では琵琶職人となって活躍しているという。その琵琶への道を切り開いたのも小椋である。彼は50歳を前に銀行を早期退職し、子どもと共に琵琶を習い始める。それがきっかけで子どもは琵琶の音色の魅了され、琵琶職人の道を目指すことになった。

BS朝日 - ありがとう

 いろいろな人生があるものだなと思う。家族に脳梗塞を罹患した者がいるだけに、こういう話は身につまされるし、容易に感情移入できる。脳の疾患は人それぞれで発症の部位によって障害も人さまざまだ。ただしそれまで出来ていたことが出来なくなることは間違いないし、身体的には手や足の自由が効かなくなる、言葉が不自由になる、嚥下の障害、また見た目は普通なのにさまざま注意障害や反側無視など認知機能に障害が生じる高次脳機能障害などもある。10代の若さで罹患した子どもと家族には想像し難い苦労があったはずだと思う。

 メガバンクのエリート社員でありつつヒット曲を連発する成功した異色作曲家にも、側からは伺い知れない労苦や心労があったのだろう。それが今の小椋佳の姿にも現れているのかもしれない。

 私が小椋佳を知ったのは多分彼が異色歌手としてデビューしてすぐの頃だと思う。1971年、中学3年の時。毎晩ラジオの深夜放送を聴きながら、受験勉強を勤しむ受験生だった。といっても勉強はおろそかで、ただディスクジョッキーの軽快なトークやテレビではあまりかからないフォークや洋楽を聴いていた。

 同時にその頃は、ガットギターにスティール弦を張ってジャカジャカ鳴らしてフォークを弾き語りをやり始めたばかりの子どもであった。フォーク関係の雑誌もよく買っていた。そうした雑誌に東大出の趙一流銀行マンがシンガー・ソングライターとしてデビューしたという記事を読んだ。そしてほぼ同時期に深夜放送で彼の曲を聴いた。

 それはエリート・サラリーマンとはほど遠い、シンプルにして素朴な、それでいてどこかそれまでの四畳半フォークやプロテスト・フォークとは違う新しい雰囲気があった。彼のデビュー曲「さらば青春」だ。それ以来、この曲は愛聴し、時には一人ギターを弾きながら歌ってきた。そしてカラオケでも時々歌う。この曲の出だしのギター、小椋佳の伸びやかな歌声、そして抒情性とどこか冷めた突き放すような歌詞、すべてが自分の血脈となっているような気がする。

 彼がその後に作り出したヒット曲は名曲揃いではあるけれど、自分にとって特に感情移入するものはない。私にとっての小椋佳はただ一曲「さらば青春」のみである。自分が60数年生きてきて。青春への別離を歌い上げた曲で感情移入するのはこの曲と長谷川きよしの「卒業」の2曲だけ、そんな気がする。60有余でたった2曲だけ。


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 それにしても巡る年月は人を変えるものだ。照れを隠すためサングラスをかけて初めて人前で歌った小椋佳は、どこからみても普通のサラリーマンだった。それから50年、我々が目にするのは功成り名遂げた後期高齢者の姿。

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 いっとき小椋佳がミュージカルを主催していたのも知っている。子どもだけで行うミュージカルでアルゴミュージカルといっていただろうか。

アルゴミュージカル - Wikipedia

 一度だけ知人に頼まれて観に行ったことがある。子どもが生まれる前だったから、もう25年くらい前なるだろうか。お子様ミュージカルということで、学芸会的なものを想像していたのだが、歌も踊りもしっかり基礎ができていてそこそこ楽しめるものだった。出演している女の子、男の子たちもスラっとして今風にいえばアイドル予備軍となる才能と長時間にわたる訓練で、きちっとプロフェッショナルな雰囲気を感じさせた。

 ただし最後、公演が終わると出口のあたりに出演した子どもたちが客を見送るセレモニーがあり、そこではなぜか大人の男たちが主に少女たちと記念撮影を行なっていた。なにかその光景がちょっとばかり興醒めするような感じがした。少年少女を追いかける大人のファンというのが自分にはあまり理解できなかった。

 ミュージカルは結局その時一度切りしか行かなかった。知人からは時々チケット購入の依頼があったけど、「なんとなくパス」するみたいな風にして断った。

 

 小椋佳のファイナル・コンサート、多分自分は行かないと思う。誘えば「行く、行く」といいそうな友人もいないこともないけど、もういいかなと思ったりもする。もちろん小椋佳が「さらば青春」を歌えばきっと一緒に口ずさむだろうけど。あれは夜中に一人で小声で口ずさむ、そういう曲だったのだと思う。