モネ『雪中の家とコルサース山』に関するメモ

 上原美術館で年に4回発行している上原美術館通信のバックナンバーをチラシ類と一緒にもらってきたのだが、その中の学芸員のコラムがけっこう充実していて面白い。

美術館通信 | 上原美術館

 そのNO.12に『モネ、北欧の旅』、NO13に『モネと日本をつなぐ不思議な縁』というコラムがあり、同じ学芸員土森智典氏が執筆している。いずれも上原美術館に所蔵しているモネの『雪中の家とコルサース山』についての様々なエピソードを紹介したもので、面白くかつ興味深い内容となっている。

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『雪中の家とコルサース山』

 この絵は『モネ、北欧の旅』によるとモネは当時ノルウェーに住んでいた義理の息子ジャック・オシュデの招待で1895年2月にノルウェーを訪れる。マイナス30℃にもなる極寒の地にモネは1ヶ月半滞在して28点の作品を制作した。その中の1点がこの『雪中の家とコルサース山」である。

 ノルウェーから義理の娘ブランシュ・オシュデに送った手紙には以下のような記述がある。

「この国にいるとよく思いますが、まるで日本のようです。日本の村に似ているサンドヴィーケンの眺めに取りかかっています。さらに、この辺りのどこからでも見える山も描いていて、それは富士山(Fuji-Yama)を思わせます。この主題はあまりに印象(le effets)が変わるので6枚着手していますが、最後までやれるだろうか 」(書簡1276)

  この標高380メートル足らずのコルサース山を富士に見立て、異なる時間や天気の中で刻一刻と移り変わる山の景色をモネが、葛飾北斎の「富嶽三十六景」を想起して描いたという。そこから土森氏はモネのノルウェーの旅を、まだ見ぬ理想郷日本を思った旅だったと位置付けている。

 そうして描かれた『雪中の家とコルサース山』はひょんなことから日本人夫婦が譲り受けることになる。それは『モネと日本をつなぐ不思議な縁』の中に詳しく書かれている。

 その日本人夫婦はモネ邸頻繁に訪れた黒木三次、竹子夫妻である。黒木三次(1884-1944)は、陸軍大将黒木為楨の子で学習院中学時代に志賀直哉と親友となり、その交友は生涯続くことになる。三次は東京帝大を卒業後に横浜正金銀行に勤め1918年、大蔵省委嘱による国際金融調査のためパリに向かう。その時に同行した妻黒木竹子は、松方正義の長男、松方巌の長女で後に美術館建設を夢見て絵画購入に莫大な資金を投入する松方幸次郎の姪にあたる。

 黒木夫妻はジヴェルニーのモネ邸を訪れる。日本情緒に魅了されていたモネは、和服で訪問した竹子を孫娘のように可愛がったという。コラムの中で竹子の晩年の回想が引用されている。

「モネさんは、モネさんの希望でいつも和服姿でお伺いしていた私を、すぐ嬉しそうに両手をおひろげになり、両腕の中に抱き込むようにして艦隊の挨拶をされたものです。

『読売新聞』1973年4月19日 

  竹子夫人(1895-1979)は84歳と長命であり、モネを実際に知る日本人が70年代後半まで生きていたというのがちょっと感動的なことのように感じる。この人については、西洋美術館を訪れた者ならばアマン=ジャンによる肖像画が目にしたことがあると思う。

エドモン=フランソワ・アマン=ジャン | 日本婦人の肖像(黒木夫人) | 収蔵作品 | 国立西洋美術館

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『日本婦人の肖像』(アマン=ジャン)

 黒木夫妻はモネから『雪中の家とコルサース山』を含む幾つかの作品を譲り受けて帰国している。その中には現在はアーティゾン美術館に所蔵されている『黄昏、ヴェネツィア』も直接モネから購入したものだという。この作品は竹子夫人がモネにお願いしてようやく譲ってもらったというエピソードも伝わっている。

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『黄昏、ヴェネツィア』(モネ) アーティゾン美術館蔵

 帰国した黒木夫妻はそのコレクションを友人の志賀直哉を通じて岸田劉生梅原龍三郎に見せたということも伝えられているという。当時、西洋絵画のオリジナルに接する機会の少なかった若き画学生たちにとって、モネの実物を見るというのは貴重な経験になったのだと思う。

 『雪中の家とコルサース山」はその後、何人かのコレクターを経て2005年に上原美術館の所蔵品となった。『黄昏、ヴェネツィア』も同じような遍歴を辿りつつアーティゾン美術館所蔵になったのだろう。

 名画の所有遍歴についてはプライバシーや税務上の問題もあり、多分秘匿される情報が多いのだろうとは思うが、1点1点の遍歴を辿ることは興味深いものがあるかもしれない。日本画のコレクターとして名高い福富太郎もエッセイやインタビューの中で、誰それからなにを購入したということを誇らしげに紹介していたような気がする。多分そういう名画の遍歴を記した本というものも、探せばけっこうあるのかもしれない。

 しかし前述したようにモネを直接知る日本人がつい最近(40年前は時代のスパンでいえば最近だ)まで存命だったというのは本当に興味深いものがある。

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『雪中の家とコルサース山』を囲んで

左から黒木竹子、モネ、ブランシュ・オシュデ、右からジェルメーヌ・オシュデとその娘

                       黒木三次撮影    上原美術館

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左から黒木竹子、モネ、モネの孫リリー・バトラー、ブランシュ・オシュデ、ジョルジュ・クレマンソー

                      黒木三次撮影  上原美術館