鉄道博物館へ行ってみた

 朝、8時半から妻の健康診断があるということなので、かかりつけの病院へ行く。まだ早い時間帯のため車椅子マークのついた駐車場もほとんどが空いている。これが1時間もすると満杯になるのは高齢化社会の常ということだ。妻の健診はいわゆる成人健診のため1時間半かもう少しくらいかかるため、自分は病院内にあるドトールで待機。ずっと、マックでちょっとした作業をしていた。

 妻から連絡があったのは11時くらい。結局2時間近くかかったみたい。まあ車椅子で身体も不自由ため、健常者よりは時間がかかるのは致し方ない。病院を後にしてからは昼食をとった。その時にどこかへ行きたいかと聞くと、当然のごとく行きたいという。月曜日なので美術館とかはほとんどが休み。スマホでちょっとした検索を行うと、鉄道博物館が営業中というので、妻に聞いてみるとすぐに、「行く、行く」という返事が返ってくる。

 鉄道博物館はもうずいぶんと前に大宮に出来たということはもちろん知っていたけど、いつも混雑しているということでなんとなく敬遠していた。あらためて調べてみると開館したのは2007年、もう14年も経つのだという。

鉄道博物館 - THE RAILWAY MUSEUM -

鉄道博物館 (さいたま市) - Wikipedia

 ここの前身ともいうべき秋葉原交通博物館には子どもの頃に何度も行っている。父が連れて行ってくれたのだが、けっこう記憶に残っている。別に鉄道好きな子どもということでもなかったのだが、交通博物館はとにかくワクワクするところだった。

交通博物館 - Wikipedia

 鉄道博物館の開館については、たしか交通博物館が手狭なのと老朽化等により大宮に移設されたという風に記憶していたのだが、どうも少し違うようである。交通博物館は鉄道だけでなくいわゆる交通輸送の箱物を多く展示していて、鉄道以外にも船舶、車、飛行機などの展示や解説が行われていた。入るとすぐに天井から吊るされた複葉機が目に入り。たしか徳川大尉が日本発の飛行を行った飛行機だった。あれがワクワクの誘引剤となっていたんじゃないかと思う。

 それに対して鉄道博物館はというと、交通博物館の鉄道部門だけを独立させてJRが東北新幹線の高架下を有効活用させる形で作ったもの。ようは鉄道に特化したところだ。まあ子どもは、特に男の子はたいてい鉄道が好きだ。幼児の頃は『きかんしゃやえもん』や『機関車トーマス』で慣れ親しんでいるし、男の子の散歩の定番は駅や線路端であり、そこで飽きることなく電車が通り過ぎるのを見ている。そういうDNAから例の鉄っちゃん達が生まれる。そういう鉄道好きの聖地が鉄道博物館ということなんだろう。

f:id:tomzt:20210719141217j:plain

 館内は細長い敷地の中に本館、北館、南館と三つの建物に分かれている。本館は大きな車庫を模していて、そこには懐かしい汽車、機関車、電車などの車両が所せましと展示してある。この光景に関しては自分のようなジイさんであっても正直、ワクワク感と郷愁が入り混じって、ちょっと普通ではいられないような感じである。

f:id:tomzt:20210719151520j:plain
f:id:tomzt:20210719151740j:plain
f:id:tomzt:20210719142119j:plain
f:id:tomzt:20210719141809j:plain
f:id:tomzt:20210719143519j:plain
f:id:tomzt:20210719143330j:plain

 

 車内に入れる車両は限られているのだが、懐かしさを誘うのは車内にポールが立っているタイプのもの。大昔、自分が小学生の低学年の頃だからかれこれ60年近く前になるが、当時住んでいた川崎を走っていた南武線の雰囲気はこんな感じだったような気がする。

f:id:tomzt:20210719142522j:plain
f:id:tomzt:20210719142605j:plain

 

 また比較的新しい、多分中央線の車両もなんとなく郷愁を誘うものがある。特に車内の吊り広告がなんとなく70年代くらいの雰囲気があって嬉しい。

f:id:tomzt:20210719143756j:plain
f:id:tomzt:20210719143909j:plain

 

 北館は科学系、南館は仕事系、歴史系みたいな区分けをされている。この時点、妻とはちょっと興味の方向が分かれるので、妻は北館の方へ、自分は南館の方へとしばらく別行動をとった。

 南館3Fの歴史ステーションは、日本の鉄道の歴史が展示物とともにわかりやすく解説されていて、ここは長い時間いても自分のような人間には飽きがこない。現代に近づくと展示物はけっこう見知ったものが多く、逆に懐かしさが増す部分が多かった。

 最後にこのポスターを見たときに一抹の感慨というか、本当にこれで良かったのかという思いがした。

f:id:tomzt:20210719161528j:plain
f:id:tomzt:20210719161517j:plain

 自分もあの時は流されるようにして民営化に賛成した。さすがに「E電」には違和感はあったけれど。それまでの非効率で親方日本、お役所的な国鉄の在り方には批判的な論説がさかんに流されていたし、それを鵜呑みにしてきた部分もある。でも国鉄の赤字についていえば、地方や過疎地を含めた住民の足でもあり、公共交通機関としての使命という部分もあった。逆に政治家、特に保守系政治家が露骨に選挙区への利益誘導により、非効率な運用が成されていた部分もある。

 それらが民営化によってすべてなくなったかといえば、間違いなく非採算路線は廃止されていった。しかし政治家により利益誘導は民営化された後も結局温存されているようにも思う。全国への新幹線網の整備は本当に必要だったのかどうか、それらも問われるべき問題だ。

 もう一つ、民営化の実はこれが一番の目的だったかもしれない国鉄の労組潰し。民営化により強力な労働組合組織であった国労動労は一気に弱体化した。春闘時のストや順法闘争によるノロノロ運転などは、利用者にとっては圧倒的に不利益だったかもしれないが、国労動労の先鋭的な運動により、多くの労働者の権利も維持拡大されていた部分もあるのではないか。

 今の派遣や有期労働が跋扈する労働環境、圧倒的に弱い立場にある労働者の状況を考えるとき、もしかってのような強い労働組合が存在していたら、労働環境がここまで悪化することはなかったのではないかと、そんなことを考えてしまう。労働集中と労働条件の悪化を我々は民営化という甘い言葉によって導きだしてしまったのではないのか。「もうひとつの時計」=労働条件の悪化を止めることを考える必要があるような気がしてならない。

 最終的にはやや暗い未来を感じさせる結末になった。その後は南館4Fのトレインテラスの芝生に横になってほんの少しだけ寝入った。まあこんなことが出来るのもウィークデイの閉館まで30分という時間帯だったからかもしれない。見上げると空はどこまでも青い。「空が青く、ちょっと悲しくなる」というのはジョン・レノンの歌詞だったか。

f:id:tomzt:20210719160050j:plain