町田市立国際版画美術館『浮世絵風景画』

 府中市美術館、太田記念美術館と浮世絵版画を続けて観て、その流れで昨日町田市立国際版画美術館に行って来た。

町田市立国際版画美術館

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 ここは名前は知っていたけれど行くのは初めて。埼玉からは車で1時間半くらい。ナビの案内の通りに関越自動車道で練馬にでて環八に入り用賀から東名という道筋。あとで考えると圏央道で相模原に出ても良かったのではないかと思ったもする。

 いざ着くと美術館に隣接した駐車場は満杯で待つ車も数台。美術館から200メートルくらい下ったところに舗装されていない第二駐車場というのがある。町田駅から美術館にシャトルバスが出ているのだが、その運転手に聞くとこの美術館には特に身障者用の駐車スペースは用意されていないという。ホームページにはあるみたいな記載があるのだけど。

 そこで第二駐車場に着くとそこも満車状態。少しすると1台出て来たのでようやく止めることが出来た。しかしいくら久々よく晴れた土曜日とはいえ、こんなに美術館混むのかと思ったのだが、その答えはすぐにわかった。やや登りの道を車椅子を押して美術館前まで行くと、その前には子どもたちが遊んでいるのが目に入って来た。

 美術館は市立芹が谷公園に隣接していて、その公園は親水公園と大きな広場があり、子どもを遊ばせるのにちょうど良いところなのだ。ようするに満杯の駐車場はみんな子どもを遊ばせるために来た子育て世代のパパさん、ママさんたちなのだ。よく見ると美術館に前にある親水スペースでは小さな子どもたちが楽しそうにジャブジャブさせている。こりゃしょうがないねと妙に納得した。

芹ヶ谷公園の基本情報/町田市ホームページ

 美術館の入り口にも水着での入場禁止とか、トイレでのお着換え禁止の張り紙があった。まあびしょびしょになった子どもの着替えをトイレでというのも、まあ気持ちわからないでもない。けっこういるんでしょうね、そういう親御さんたち。

 

 美術館のお目当ては11日から始まった企画展『浮世絵風景画展』である。

浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼― | 展覧会 | 町田市立国際版画美術館

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開催概要

江戸の歌川広重(1797-1858)、明治の小林清親1847-1915)、そして大正から昭和の川瀬巴水(1883-1957)。各時代に優れた風景版画を制作した三人の絵師・画家を紹介します。

江戸後期の浮世絵界では、旅や名所に対する関心の高まりを背景に、「風景」が「美人」「役者」と並ぶ人気ジャンルとして大きく花開きました。その第一人者である広重は、四季豊かなにほんの風土を数多くの「名所絵」に描き、後世の絵師たちに影響を与えてゆきます。その約20年後の明治初期には、清親が「光線画」と呼ばれる風景版画を発表。文明開化後の東京を繊細な光と影で表し、名所絵に新たな表現をもたらしました。そして大正期、すでに浮世絵はその役目を終えますが、伝統木版画の技術をよみがえらせた「新版画」が登場します。巴水は、関東大震災前後の東京や旅先の風景を抒情的にとらえ、風景版画の系譜を継いでゆきました。

本展では、変わりゆく日本の風景を「三世代の眼」がどのようにみつめ表現してきたのか、その違いを対比しながら、時代を超えて響きあう風景観や抒情性に着目します。100年にわたる日本の風景を、旅するようにご堪能ください。

(図録より) 

  出品点数373点、前後期で全点展示替えを行うので約186点の展示となるようだ。そしてその見どころは以下の3点となっている。

① ありそうでなかった風景版画の巨匠3人のコラポーレーション

② 370点超の大ボリューム

③ 100年にわたる日本の原風景をタイムトラベル 

 一見して府中市美術館の『映えるNIPPON』とやや被る企画内容だが、もともとこの『浮世絵風景画』は2020年に企画されていたものが、コロナの影響に今年に変わったということで、時期が重なったのはコロナ禍の偶然なのかもしれない。またどちらにも広重、清親、巴水の同じ作品が出展されている。なんなら太田記念美術館にも同じ作品があったりもするが、これは版画という複製芸術だからこそということかもしれない。

 そして初日とはいえとにかく混んでいた。絵の前に列が並びなかなか進まない。こういう混んだ=賑わった美術館は久々である。これは町田市民にこの美術館が親しまれているためか、あるいは広重、清親、巴水の人気の高さなのか。ウィークデイと土曜日の違いとはいえ、府中市美術館は空いていて良かったなと思ったりもしたのだが、なんのことはない、初日は入場無料ということなのでその影響も大きかったのかもしれない。

 

 第1章は「江戸から東京へ-三世代の眼」となっている。ここでは同じ画題で広重、清親、巴水の作品を並列展示している。通常だとまず広重をバーン、続いて清親、そして巴水と画家=絵師ごとに作品を展開するのだが、そこを三人の作品を並列する。これがなかなか面白かった。

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『東都名所芝増上寺雪中ノ図』(歌川広重) 個人像

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『武蔵百景之内芝増上寺雪中』(小林清親) 株式会社渡邊目半美術画舗蔵

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東京二十景芝増上寺』(川瀬巴水) 町田市立国際美術館蔵

 ことこの雪中の芝増上寺に関しては川瀬巴水が素晴らしい。この作品は巴水の最も売れた絵でもあり、紅と白の取り合わせは「風景版画史のなかでも強いインパクトを放っている」と図録にもある。

 

 第2章「歌川広重-江戸の名所絵-」では広重の揃物『東海道五拾三次』、『東都名所』、『江都名所』、『江都勝景』、『名所江戸百景』などから主要な作品が展示されている。その中で興味深かったのが、2章3節で展開される「堅絵の新感覚」である。キャプションの解説をそのまま引用する。

江戸末期になると数十枚にも及ぶ錦絵揃物を、画帖や冊子にして売ることが流行する。保永堂版『東海道五拾参次之内』はその早い時期のものだが、嘉永年間(1848-54)以後その動きが加速する。本のように画帖・冊子化したときには堅判のほうが扱いやすいため、名所絵でも堅大判を採用するものが増えていった。嘉永6年(1853)から安政3年(1856)にかけて出版の広重の70枚揃の『六十余州名所図会』がその早いもので、『名所江戸百景』や『富士三十六景』でその流れは固まっていった。

水平方向の空間の広がりを表現するのには従来の横判が好都合だが、竪絵の採用にあわせて構図法にも新たな工夫が迫られることとなる。当初は名所図会風に風景を高い視点から見下ろして画面を埋めるものが多かったが、やがて近景の事物を画面一杯に拡大し、その向こうに水平視した風景を覗き見せる構図法へと移行していった。

視覚的にインパクトのあるこの構図法は、幕末から明治の名所絵にも積極的に取り入れられていくこととなった。

(図録83P)

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『名所江戸百景 深川万年橋』(歌川広重)  個人蔵

 なんのことはないこの特徴的な構図、手間にあるモチーフを極端にクローズアップさせる「近像型構図」は、画帖や冊子として出版したときに扱いやすい竪絵のために使われた技法だったというのだ。このへんは版画という複製芸術、しかも大量消費される出版物というメディアに依拠したものである。とはいえもともと絵、絵画は、買い手の要求に応じて発達してきたメディアでもあるのだから、浮世絵がその判型を活かすために進取の技法を取り入れていくというのは必然なのかもしれない。

 広重はより、消費者のニーズに沿って、より売れる作品を描くなかで、その売り方=判型にそって新たな技法を考案したということなのかもしれない。とはいえいったん普及化した技法は様々なアレンジが加えられる。「近像型構図」もその後は横判で取り入れられていき、遠近法のバリエーションの一つになっていったということなのだろう。

 

 3章では「小林清親-明治の光線画」として清親の多数の作品が展開される。清親は当初、江戸期の浮世絵に倣った作風の作品を描いていたが、じょじょに江戸から東京へと移りゆく街の気配を繊細な写実性と抒情性をあわせもつ「光線画」を発表していく。さらにキャリアの後半になると再び江戸浮世絵に回帰するような作品を描いていくという。その流れが展示される作品によって理解できる。

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『江戸ばしょり日本橋の景』-個人蔵   『両国花火』-渡邊木版美術画舗蔵

 そして4章は「川瀬巴水-大正・昭和の新版画」となる。川瀬巴水の作品はどれも美しく抒情性もあり興味深い作品ばかりである。ただし百数十点の広重、清親の作品を観てきていると、なんとなく「お腹一杯」というか食傷気味になってくる。そういう疲れた観客の目からすると、なんとなく通俗的とか、イラストっぽいねとか、そういうややネガティブな印象をもってしまう。

 180点強の展示ということでいえば、すでに広重、清親の二人で100点以上の作品を観てきているので、これはちょっと川瀬巴水には可哀そうだけど、少々ダレてしまう。一緒に観ていた妻も、「版画もいいんだけど、もうちょっと大きい絵みたいね」と言い出す始末だ。

 そうなのかもしれない、版画作品はどうしても小ぶりなものが多い。そして前述したように複製芸術品でもあり、かって大量に消費された愛好品でもあるのだ。なので多数観ているとどうしても同じような構図、絵柄、色合いのものが続くためじょじょに観る側の緊張は弛緩していく。暴論めいたことを言ってしまえば、ずっと絵葉書観続けていればそれは飽きるよなみたいな感じである。浮世絵好きな人には本当に申し訳ないのだけど、俄か美術愛好家は残念だけどこのへんが限界かもしれないなと、そんな感じにもなった。広重、清親、巴水には罪はない。たた観る側の緊張が続かないということ、あと同じ判型の風景画はせいぜい100点くらいの鑑賞がちょうどいいのかもしれないと思ったりもした。

 ここのところ八王子市夢美術館の北斎府中市美術館の広重、清親、巴水、太田記念美術館北斎、広重、清親と観てきて、ちょっとばかり浮世絵版画に食傷気味みたいなところもあるかなとは思ったりもする。こうなると大作の日本画、障壁画の類や洋画をすこしじっくりと観てみたいとか思ったりもする。

 少しの間、浮世絵版画はお休みするかな。とはいえ買ってきた図録を眺めているとそれはそれで心地よい時間が過ごすことは出来るのだけれど。