岸田劉生『道路と土手と堀』の別視点

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『電線絵画-小林清親から山口晃まで』(求龍堂

 先日、友人から春に練馬美術館で開催されていた電線絵画展の図録をもらった。これがめちゃくちゃに面白い。行かなかったことを改めて後悔している。

 この図録の中に岸田劉生の以下の作品が載っていた。

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『代々木付近(代々木附近の赤土風景)』(岸田劉生) 豊田市美術館

 これは東京国立近代美術館にある有名な作品『道路と土手堀(切通之写生)』の別視点から風景ではないか。

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『道路と土手堀(切通之写生)』(岸田劉生

  この作品は、1971年重要文化財に指定された岸田劉生の代表的作品の一つだ。劉生自身が「剥き出しの土が持つエネルギーを捉えたかった」と語った作品だ。そこに伸びる二本の影はあたかも盛り上がる土の道の勢いを抑えつけるように横切っている。

 近代美術館のこの作品のキャプションには、この日本の黒い線はなにか、正解は画面に描かれていない右側にある電線だというようなことが書かれている。それは豊田市美術館蔵の『代々木附近』に知ることによって初めて明かされるということだ。

 大正二年(1913年)に新婚の岸田劉生東京府豊多摩郡代々木山谷に転居する。当時の代々木は明治神宮の創建計画が始まる時期で、新興住宅地として造成されている最中だった。荒々しい赤土は造成の痕跡のようでもあり、その右側の土手はまさに今造成中ということが『代々木附近』の絵によって確認できる。

 剥き出しの赤土の坂道は自然のエネルギーであり、二本の電線の影はそれを抑えつける電気という文明の力である。二つの力が衝突している様を『道路と土手堀』は活写しているというのが、近代美術館の名品選図録の中に記述されている。

 しかし今やビルやマンションが立ち並ぶ代々木附近の景色を思い浮かべると、電柱二本の影が文明の力とされるのがどことなく空しいもののようにも思えてくる。

 まあいずれにしろ、これまで『道路と土手堀』のキャプションにあった二本の影=電柱という説明がこういうことだったのかと判ったのはなんとなく嬉しい。美術館の学芸員の先生たちは、日々様々に画家、作品の研究をされている。その中でわかりやすい作品解説を試み作品へのキャプションをつける。とはいえその種明かしは出来ればもう少し明確にしてもらえるといいと思う。同じ景色の別視点からの作品を紹介することで、鑑賞者に対して情報=知識を与えるということも必要なのではないかと。

 多分、研究者や美術愛好家の間では、「二本の影」が電柱であるというのは常識であり、代々木に住んでいた岸田劉生の当時の風景画によって確認できるというのは常識なのかもしれない。自分はたまたま友人からもらった「電柱絵画」の図録でそれを確認した。まあそれだけのことなのではあるのだけど。