義務投票制について

 5日くらい前のさいたま市長選挙の結果を見て思ったこと。

さいたま市長選の投票率、初の20%台に 現職が4選:朝日新聞デジタル

 投票率が28.70%である。人口126万人の政令指定都市首長選挙投票率が3割に満たない状況なのである。これはちょっともう民主主義国家としてどうなのかと思う。

 国政選挙でも投票率はどんどん下がってきている。

総務省|国政選挙における投票率の推移

 直近の衆議院総選挙が53.68%、参議院選挙では48.80%である。

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  これは当然全国平均であり、地方はまだ投票率は6割台をキープしていると思われるので、都市部は確実に5割を切っているだろうし、おそらく4割前後になってきているのではないかと思う。

 これは20世紀後半からずっといわれている政治的アパシーの増大、支持政党なし、政治に興味のない人々が圧倒的に増大してきているからだ。しかし理屈的にいえば民主主義国家は当然、国民主権であり、国民の投票によって得られた政治家が政治を担うのである。それが3割前後の投票ということであれば、もう民主主義自体が死滅寸前にあるということではないかと思う。投票所に行かない人々、政治的無関心層は自らの権利を放棄しているということではないかと思う。

 成熟した先進国家では投票率は低くなる傾向にあるといっても、投票率が5割を切り、都市部の地方選挙では4割を切るというのは多分、日本だけではないかと思う。その理由はまあ諸々あるのだろうけど、根本では日本の民主主義が上から与えられたものだからということに尽きるのかもしれない。

 戦争に敗北し、進駐した米軍によって与えられたのが憲法であり、民主主義的諸制度である。本来、これらは国民が王政や圧政者から勝ち取ることによって成立する。概ね、民主主義政治は革命かそれに類似したものによって、それまで基本的人権を認められていなかった国民が王政や独裁制を倒して獲得してきたものだ。でも日本ではそうした政治的経験がないまま、戦争に負けたとたんに勝者のアメリカを中心とする連合国によって所与されたものだ。

 今の憲法アメリカに押し付けられたと主張する連中もいるが、彼らが日本独自の憲法としてその範とするのが、戦前の大日本国憲法である。そしてそれは国民主権ではなく天皇主権である。とはいえ投票率が3割、4割の国であれば、投票に行かない人々にとっては誰に主権があっても多分関係がないということになるのかもしれない。

 結局、民主主義が定着していないこの国にあっては、投票行動によって政治を形成していくということを意識付けるためにも義務投票制みたいなことが必要なのではないかと、そんな極論めいたことを考えざるを得ない。

義務投票制 - Wikipedia

https://www.city.sakata.lg.jp/kurashi/senkyo/school.files/w-gimu.pdf

 投票は国民の権利であり、また棄権も政治的意思の表明だという至極真っ当な意見があるのも知っている。しかし投票率が国政選挙でも5割を切り、地方選挙では3割前後という状況なのである。ここは投票行動という民主主義の前提を定着させるためにも、一定の罰則付きの義務投票制を定めてもいいのではないかと、真剣に思っている。

 もしも棄権という投票行動を示したいのならば、実際に投票所に出向いて白票を投じればいいだけのことだ。今、投票所に行かない人々は間違いなく、選挙に、政治に関心がないから、投票所に出向くのが面倒くさいから、それなら好きな時間を過ごした方がいいと、多分そんな考えなのだろうと思う。

 そこでだ、義務投票制を実施して、正当な理由なく投票所に行かない場合には、1000円~2000円の罰金を科すということにしたらどうだろう。罰金は地方自治体の税収に組み入れれば、今の投票率であれば自治体は万々歳かもしれない。

 投票用紙は有権者に必ず配布されるのであるから、誰が投票に来なかったは把握できる。投票所に来なかった人に郵送なりでコンビニ払いの課金徴収票を送ればいいだけだ。そして罰金の支払いに応じなかった者には次回の国政選挙への投票権をはく奪するか、住民税への加算を行うとか。

 相当な事務作業が必要になるかもしれないが、それもまた民主主義定着のための授業料みたいなものかもしれない。

 投票率が上がっても今の政治状況はあまり変わらないかもしれない。若者を中心に現状の変化よりも現状維持を念頭に置く人々が増えている状況である。でも、少なくとも6割、7割の投票行動の上で多数派が形成されるのと、5割に満たない投票率で形成される議会や行政の方が圧倒的に正当性はあると思う。

 何度もいうけど投票率が都市部で3割前後という状況は民主主義の瀕死状態だと思う。独裁的な政治状況が生まれても致し方ないとさえ思う。もっとも今の政治的アパシー層にとっては、独裁、政治的な圧政があっても、多分あまり意識されないのではないかとそんなことを思ったりもする。東アジアの政治状況では独裁国家である北朝鮮共産党一党独裁のなかで経済的繁栄を極める中国、そして政治的無関心層が増大するなかで、緩やかに民主主義が病んでいる日本という三か国があるのではないかと、そんなことすらも考えている。