ポーラ美術館「CONNECTIONS 海を越える憧れ、日本とフランスの150年」再訪

f:id:tomzt:20210407084544j:plain
f:id:tomzt:20210407084539j:plain

 ポーラ美術館「CONNECTIONS 海を越える憧れ、日本とフランスの150年」を観てきた。この企画展は昨年の11月に行っている。その時にもう一度来たいと思っていたが、閉幕まじかになんとか観ることができた。

ポーラ美術館補遺~並列展示とか - トムジィの日常雑記

  今回の目玉ともいうべきコランの『フロレアル』、『眠り』とそれに影響を受けた黒田清輝『野辺』の並列展示は圧巻だ。そしてその横には同じくコランのフォロワーであっただろう岡田三郎助『花野』も。

f:id:tomzt:20210401135952j:plain
f:id:tomzt:20210401140014j:plain
f:id:tomzt:20210401140029j:plain

 コランのもつ 理想美としての裸婦が、黒田や岡田らによる受容とより東洋的なリアルさのある表現に移行する様がかなりリアルにわかるような気がする。コランは外光派といわれるが、明らかにその表現はアングル、ブーグローらのアカデミズム絵画のそれに近い。背景の草の表現はバルビゾン派の写実というよりは省略下された印象派の表現に近いかもしれない。

 それに対して黒田はより写実にシフトしており、モデルの目を開かせることによって羞恥とある種の諦観的な表情を示している。これに対して岡田は印象派的な表現を進めていて、絵画表現としては黒田を凌駕するようにさえ思える。

 この三種三様の裸婦、前回も思ったことだがやはり画力、表現としてはコランが圧倒的である。黒田の『野辺』はまだ模倣、習作的な感じがする。それも含めてみずみずしい印象を与えてはいるけれど。それに対して岡田三郎助のそれは印象派的な習作といってしまえばそれまでかもしれないが、完成度はましている。自分がよく知っている岡田三郎助の作品といえば、同じポーラ美術館所蔵の『あやめの衣』などだが、あの背中のスベスベ感にはどことなくアカデミズム派の表現に回帰しているような気もしないでもない。黒田の『野辺』1907年作、『花野』1917年作、『あやめの衣』1927年作という10年の経過により画家たちの表現の成熟度みたいなことも少しだけ考えさせる。

f:id:tomzt:20210401140450j:plain

『あやめの衣』(岡田三郎助)

 そのほかで気になったのは前回も書いたことだけど、常設展示でスーラ、シニャック岡鹿之助の作品を同じ部屋で並列展示していたこと。

f:id:tomzt:20210407084428j:plain
f:id:tomzt:20210407084436j:plain
f:id:tomzt:20210407084432j:plain

 岡鹿之助は点描表現を中でスーラと同様に静的な抒情性を醸し出している。点描にプラスしてアンリ・ルソー的な素朴な表現を取り入れている。抒情性や詩情を獲得するのは、色彩、構図、構成、画題などによるものだということを再認識する。

 またスーラとシニャックのそれを観ていると、点描が次第に大きくなることで、新印象派からフォーヴィズムに移行するのかなとか思ったりすることもある。この二人にさらにアンリ・エドモン=クロスを加えるとさらにそんな思いを強くするものがある。ついでにいえば初期のマチスにもかなり大きな点描みたいな絵があったようにも思う。

 その他ではセザンヌ静物画を安井曾太郎岸田劉生等が模倣した習作と並列展示しているのも興味深かった。みんな近代絵画の父ともいわれるセザンヌの表現を獲得すべく苦労していたんだなと改めて思ったりもした。同じセザンヌ静物画でも数年の経過によって完成度が増していることなども並列展示によってよくわかる。ただし、好みでいえば、みずみずしさなども含めていうとより若い作品の方が自分などは気に入っている部分もある。

f:id:tomzt:20210401144732j:plain

ラム酒の瓶のある生物』(セザンヌ)ー1890年頃

f:id:tomzt:20210401144925j:plain

『砂糖壺、梨とテーブルクロス』(セザンヌ)ー1983年、1894年

 この企画展は上述したように4月4日で終了し、4月17日からは「フジター色彩への旅」という新たな企画展が始まる。それ以降も常設展では黒田の『野辺』は展示されるようだが、それと同時にコランの『眠り』もしばらく展示が続けられるという。『眠り』は120年ぶりに公開となった作品だということだが、コラン自体が多分フランス本国ではあまり重要視されていない画家なのかもしれない。

 『フロレアル』は制作時に政府買い上げとなりルクサンブール美術館に収蔵されたという。現在はオルセー美術館(アラス美術館寄託)に収蔵されている。フランスでは外光派自体があまり評価されていないのだと思う。コランはやはり黒田清輝の師匠ということで日本では特別な存在となっているということもあるのだろう。『フロレアル』には複数の習作があり、その一つが今回の企画展にも展示されていた東京芸術大学所蔵のものである。

 いずれにしろいましばらくの間、『眠り』がポーラ美術館で観ることができるのは嬉しいことだと思う。箱根に行く楽しみが増えた感がある。