美術館初詣は東京国立近代美術館

 今年の美術館詣での初っ端は竹橋の東京国立近代美術館(MOMAT)である。ここには昨年暮れにも行っているのだが、今は上野の西洋美術館が長期閉館中のため、あまり選択肢もない。緊急事態宣言が発出されたのに東京にわざわざ出てくるというのも不謹慎といわれるかもしれないが、移動は車だし、しかも常設展だけとなると間違いなく密は避けられると、まあ手前勝手といってしまえばそれまでだが、都内の美術館巡りは意外と感染リスクは低いと思う。まあ館内は基本こんな感じだし。

f:id:tomzt:20210111164955j:plain

 前回来たのは12月17日だったのだが、現在の常設展は11月3日から12月22日までと12月23日から2月23日までで一部展示内容が替わることになっている。なのでもう一度来なくてはとその時にも思っていた。実際、4階の1室ハイライトが山元春挙の『雪松図』から川端龍子に替わっていた。

f:id:tomzt:20210113014957j:plain
f:id:tomzt:20210113015013j:plain
『慈悲光礼讃(朝・夕)』(川端龍子

 右の朝図の葉の青が凄い。多くの画家が青を効果的に使うみたいなことあるようだが、この青の表現はちょっと類をみないかもしれない。朝日が池に差し込み、小魚を照らしている。光は木々の間から差し込んでいるため、光の当たらない葉は影になっている、それを青で表現する。夕図は夕日を浴びる牛を描いているが、ここにも影の部分の濃淡を青で表現している。川端ブルーという言葉があるかどうかわからないが、この青はちょっと他に思いつく言葉がない。

 江戸美術において大胆な着想、表現を奇想と評したのは辻惟雄だけど、近代以降の日本画において様々な奇想表現が生まれているとは思う。自分的には川端龍子加山又造はその第一人者といってもいいのではと適当に思っている。とにかくその奇抜な表現は他を圧倒しているように思える。

 同じく1室では小杉放菴や不染鉄の作品もあった。

f:id:tomzt:20210113015002j:plain

『椿』(小杉放菴

f:id:tomzt:20210111164306j:plain

『海村』(不染鉄)

 不染鉄は俯瞰からの細密描写が特徴と解説にあったが、見えないはずの海中の岩や海藻、あるいは泳ぐサメまでをも描写している。なんでも不染鉄は伊豆大島に写生旅行に行き、そこで住み着いて漁師をしていたとか、筆だけでなくサインペンやボールペンまでを使ったというようなことがウィキペディアにもある。絵だけでなく人物も魅力と興味をひきたてるものがある。

 4室には前回も観たのだが、昭和期のモダンな家や間取りなど取り上げている。その流れで以下のような作品が展示されている。

f:id:tomzt:20210111151004j:plain

『明るい部屋』(牧野虎雄)

 全体の明るい色遣いや窓のある室内、カーテンの文様など、どことなくマティスを想起させるものがある。人物はちょっとキスリングっぽいか。いずれにしろ装飾性に溢れる美しい絵だ。全体としてエコール・ド・パリの雰囲気がある。

f:id:tomzt:20210111151031j:plain

『花苑の戯れ』(大久保作次郎)

 これはなんとなくボナールっぽいか。背景の草木や人物の配置とかにそんな雰囲気を感じさせる。

 5室は美術と国家というテーマでアンセル・アダムス等の写真や、アメリカで活躍した石垣栄太郎、野田英夫国吉康雄らの作品が展示されている。これはニューディール政策において美術家への支援や美術教育振興が成されたことの流れのようだ。美術に対しる国家の支援について以下のような解説があった。興味深いものがあるので全文引用する。

 1930年代、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトは、世界恐慌(1929年)から経済を立て直すためにニューディール政策を勧めます。その一環としてWPA(公共事業促進局)が打ち出したのが芸術家支援計画「フェデラル・ワン」で、そのうちの美術分野に関するプロジェクトが連邦美術計画(1935-43年)です。WPAは駅、役所、図書館など公共建築への壁画や彫刻の設置、美術教育事業や美術に関する調査記録事業などを立ち上げ、その担い手として多くの美術家を雇用しました。ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングなど戦後美術のキーパーソン、あるいは国吉康雄や石垣栄太郎などアメリカで政策、発表を続けた日本人アーティストもこの計画に参加しています。そしてこの気鋭格は、美術家の職を確保しただけではなく、結果として当時のアメリカの生活や文化などの貴重な記録を多く残すことにもつながりました。

 この部屋では、美術(家)と国家の関係を考えるきっかけとして、連邦美術計画を起点に1930年代の美術をご紹介します。

 ニューディールは大規模な公共事業だけでなく、こうした芸術家支援や美術教育事業も行われていたのかとちょっと興味深い。公共建築に壁画や彫刻を設置することで、芸術家を支援する。ちょっと想像するだけでもワクワクするような話だ。

 今、コロナ禍で芸術家もかなり活動を制限され、生活面でもシンドイ状況にあるのではないかと想像する。こういう時期だからこそ、芸術家支援を行うということも実は必要なのではないかと思ったりもする。もっとも感染症対策一つ禄にできない日本の政府に、そうした芸術振興策などまず出来っこないとは思うが。

 10室日本画の間で興味を惹いたのはこんな絵。

f:id:tomzt:20210111155752j:plain

『山河』(福田豊四郎)

 日本画の可能性を広げるような試み、そういう作品なんだろうと思う。今でこそ、様々な着想により、日本画の地平は大きく広がっている。しかしその過程でこうした先人がいたということを多分忘れてはいけないのではと思ったりもする。洋画の表現を大胆に取り入れた作品だと思う。

f:id:tomzt:20210111164723j:plain

『白い朝』(東山魁夷

f:id:tomzt:20210111164925j:plain

『一九八四・東京』(加山又造

 なんだかんだいっても、このへんが全部もっていくようなそんなインパクトある作品だ。この二つの作品を観てしまうと、美しい小品的な作品は印象が薄くなってしまうかもしれない。たとえそれが小林古径あたりであってもだ。

f:id:tomzt:20210113015937j:plain

『極楽井』(小林古径