1917

1917 命をかけた伝令 (字幕版)

1917 命をかけた伝令 (字幕版)

  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: Prime Video
 

  アマゾンプライムで観た。公開時評判が高かった映画だが、予想どおり面白かった。監督のサム・メンディスは最近では007シリーズの監督として有名になったけれど、もともとは『アメリカン・ビューティ』や『ジャー・ヘッド』の監督で、外れの少ない人でもある。

 本作の特徴は戦争映画として屋外ロケでありながら、長回しのワンカット映画を実現させていることだ。全編ワンカット映画というと、古典的なヒチコックの『ロープ』や最近ではイニャリトゥの『バードマン』なんかもある。カメラを含め機材の進歩もあり、以前よりはワンカット映画をたやすくなってきている。ヒチコックの時代では相当な困難があったのだろうとは思う。

 しかし映画の神髄は実はカット割りであり、エイゼンシュタインではないがモンタージュだと自分などは思っている。ヒチコックも『ロープ』は実験的にやってみたが映画の王道ではないみたいなことを、後にトリフォーに対して語っている。さらにいえば、イニャリトゥの『バードマン』はステディカメラによる撮影のため、画面のゆれもあり-もちろん計算の上だとは思うが、いささか心地悪い映画でもあった。

 なので長回し撮影はある種の監督の狙いに基づいた限定的な手法というのがあるべきものだと思っている。その狙いとはといえば、例えばライブ感、臨場感などがある。長回しを多用した日本の監督では亡くなった相米信二がいる。彼のデビュー作『翔んだカップル』では、若い新人俳優である薬師丸ひろ子と鶴見慎吾の稚拙な演技とそもそも若い少年少女の不器用な生き方を映像化させるための必然だったと記憶している。そういう限定的な手法なのだと思う。

 相米信二はこの長回しを多用し、自らのスタイルの一つとして確立させたといわれている。ただしその多用というか乱用には、なんとなくもっとカット割れよと思ったりしたこともあった。

 この映画のワンカットはどうか、戦場という非日常的な現実を映像化するためにはそれなりの必然性はあったと思うし、実験性に伴う不自然さはなかったと思う。そういう意味ではけっこう成功していたとは思う。

 戦場、あるいは戦闘シーンでの長回しは、スピルバーグの『プライベート・ライアン』の冒頭、ノルマンディ上陸のシーンが有名だ。多分、サム・メンディスも『プライベート・ライアン』をかなり意識していたのではと思ったりもする。ただし二番煎じではなく、サム・メンディスなりのオリジナリティは出ていたと自分は考える。

 戦場での悲惨な情景などかなりのリアリティがあるが、この映画は実はかなりの部分で寓意性のある作品だと思っている。ドイツ軍が撤退したため最前線の大隊はドイツ軍をおって突撃を行うことになっている。しかしドイツ軍の撤退は罠で、突撃してきたイギリス軍を殲滅しようとしている。航空偵察等からドイツ軍の罠を把握したイギリス軍は突撃を中止させるために、たった2名の兵士を伝令として派遣する。その伝令がみた最前線の状況、特に夜間の戦闘シーンはリアリティを欠く幻想的なものとして描かれている。

 夜間、燃え盛る建物や炸裂する照明弾によって映し出される戦場のシーンには既視感がある。たしか『地獄の黙示録』の中にもどこかで行われている戦闘と、照明弾が花火のように闇夜を照らすみたいなシーンがあったように記憶している。

 なんとなくだが、サム・メンディスは様々な戦争映画の映像、表現、手法を引用しているような、そんな雰囲気もあるように思ったりもする。いわばサム・メンディスによる戦争映画へのオマージュのような。

 自分は戦争は嫌いだが、戦争映画は割と好きなほうだ。戦争は究極の非日常であり、その中で究極の人間ドラマが展開されるからだ。もちろんただただアクションだけのものも多いし、最近のそれはテレビゲームなどのシューティングを思わせるものもある。そのへんを含めていえば、この『1917』は秀逸な戦争映画だと思う。これは『ジャー・ヘッド』で語り尽くせなかった戦争の別側面を映像化したものだと、そんな風にも思っている。