京都市京セラ美術館

 初日は朝6時半頃に家を出て、ほぼノンストップで京都を目指した。文化の日なのでそこそこ混むかと思ったが、圏央道、東名、新東名、新名神ともスムーズで、途中に少し休憩を入れても12時過ぎには京都に入った。そしてまず向かったのがここ、京都市京セラ美術館である。

f:id:tomzt:20201103124950j:plain
京都市美術館 - Wikipedia

 京都市美術館が2017年に施設リニューアルのため休館となり今年オープンになったばかりである。今回は命名権を京セラが取得して京都市京セラ美術館となった。この命名権ビジネスについていえば、文化を守るため必要ということもあるのだろうが、どうもしっくりこない。

 京セラが京都を拠点にした日本を代表する企業であることはいうまでもないけど、本当に文化助成ということでいうなら、別に命名権など買うことなく資金を拠出すればいいだけではないかと思ったりもする。

 例えばだが、デトロイト美術館が財政危機に陥った時に、GMが資金援助をして美術館名をデトロイトGM美術館とするかどうかだ。多分それはないと思う。そういうものだ。海外にも企業名を冠した美術館は沢山あるが、それはまちがいなく企業が、その企業の創業者等が、自費で建て運営している美術館のはずだ。

 命名権ビジネスというのは誰が始めたものか知らないが、こと文化事業についていえば悪手としか思えない。京都市京セラ美術館、う~む、京都市美術館のままでいいではないか。それでいて施設リニューアルには、京都から世界的企業となった京セラが費用の半分を負担しているという方がはるかに見栄えがする。

 以前、名古屋のボストン美術館がやはり運営面の問題から閉館することになった時に思ったことだが、愛知県にはやはり世界に冠たるトヨタがあるのになぜ支援しないのだろうか。トヨタを中心とした愛知県の企業が支援してもいいではないかと。名古屋でボストン美術館の収蔵品を常時見ることができるというのは、本当に得難いことなのにと、そんなことを思った。

 この国の大企業、金持ちは文化に金を使うということが基本的にわかっていない。それは資本主義社会にあって、富裕層のモラリティとして本来備わっていなければいけないのではと思ったりもする。それがないのは結局、明治以降の近代化において日本は成金主義のままで、いわゆる資本家が形成されなかったのかもしれない。もちろん松方正義や大原孫三郎といった例もあるにはあるのだけど。

 話はそれた京都市京セラ美術館である。ここには以前マグリットの回顧展を観に来ている。東京で見逃したのをたまたま京都旅行に来た際に、やっているのを見つけて行った。立派な造りと独特のミシミシという板張りの床が印象的な古風な美術館というイメージだった。今回訪れて、外見は以前そのままであり、板張りも同じような仕様にしつつ、エントランスや内装には現代的な意匠をこらしている。

f:id:tomzt:20201103164322j:plain

f:id:tomzt:20201103130721j:plain

 そしてやっていたのは「京都の美術250年の夢」というもの。

f:id:tomzt:20201103125920j:plain

https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20201010-1206#tab_cont02

 これは京都の画壇や京都に所縁のある芸術家の作品を収蔵品だけでなく、国内より集めた大掛かりなもの。ただし期間中に展示替えがかなりあるようで、ある種の目玉ともいうべき伊藤若冲や曽我蕭白長澤芦雪といった例の奇想派の作品は全部後期展示のよう。しかし展示作品はかなりの規模であり見応え十分だったと思う。

 とにかくボリューミーで名画、名作が目白押しという感じでもある。気になった作品が沢山あるがその中から幾つか。

f:id:tomzt:20201109171757j:plain

『大原女』(土田麦僊)

f:id:tomzt:20201109171801j:plain

『玄猿』(橋本関雪

f:id:tomzt:20201110160817j:plain

『ベニスの月』(竹内栖鳳

f:id:tomzt:20110812145717j:plain

『星五位』(上村松篁)

 これは竹橋の近代美術館の収蔵品。つい最近は山種美術館で観た記憶がある。

 

 あと、抽象画家北脇昇は京都で活躍した人だったらしく、この企画展でも数点、また常設展でも何点か観た。この『クォ・ヴァディス』はやはり近代美術館収蔵でもう何度も観ているのだが、やっぱり味わい深い。

f:id:tomzt:20201110160838j:plain

『クオ・ヴァディス』(北脇昇)

  企画展とは別にコレクションルームという常設展示を行っていた。料金は企画展とは別なのだが、こちらも見どころが満載でこの美術館の収蔵品の量、質には驚かされる。あとで名品百選という図録を購入したのだが、展示されているもの以外にも名品が溢れている。京都市民は羨ましいと思った。リニューアル中には他の美術館への貸し出しも盛んにされていたのかもしれないけれど、記憶にある限りでは京都市美術館の秘宝みたいな企画展はなかったと思う。

 図録で見て今回の展示になかったもので、ちょっと残念な思いがしたのはこの2点。

f:id:tomzt:20201110200739j:plain

『種痘』(太田聴雨)

 太田聴雨というと近代美術館の『星を見る女性』を思い出すが、モダン題材を日本画美人画の伝統をもとに描く人というイメージ。なんとなく理系女子萌えみたいな雰囲気もあるが、この絵には皮膚にメスを入れる緊張感がある。美しい白を基調にしたなかで帯の緑が華やかだ。この絵は一度観てみたいと思う。

f:id:tomzt:20201110200744j:plain

『ピアノ』(中村大三郎)

 これもモダンな題材をもとにした美人画の系譜。ピアノや譜面など細密な描写に日本画の可能性を広げようとした画家の意欲がうかがえるような作品。これが大正15年の作品というのも凄い。この作品もいつか観てみたい。

 展示作品では一度インパクトがあったのはこれかもしれない。

f:id:tomzt:20201110231047j:plain

『少女』(菊池契月)

 これもモダンな画風だが、これは昭和7年の作品で菊池契月は53歳で円熟期にある。それを考えると契月は進取の気性をもった人だったのかもしれない。日本画の従来の技法に即しながら、それを突き抜けるような感じがある。表情、全体の雰囲気が写実を前提にしつつ、それとは別の何かを醸し出している。俗っぽくいえば妖艶なエロチシズムの萌芽みたいな感覚だ。とにかくこの表情、雰囲気は観る者の目を、心を惹きつける。そんな魅力ある傑作だ。

 菊池契月についてはほとんど知らないけれど、最初に意識したのは確か芸大美術館で観た『散策』だったか。これも京都市美術館所蔵なのだが、残念なことに今回は展示がない。やはりモダンな雰囲気のある絵でけっこう記憶に残っている。

 菊池契月の経歴をみると生まれは長野県下高井郡中野町、13歳で山ノ内町渋温泉の洋画家に入門とある。このへんはカミさんの実家のあるあたりである。カミさんに聞いてみたが当然知る由もない。中野市山ノ内町あたりに契月の美術館でもないかと調べたがそれもない。郷土の画家ということでそんな美術館があってもいいとは思うのだが。

 今回の常設展では竹内栖鳳のために一室を設けている。戦前の京都画壇をリードした大家だけにこの美術館でも多数作品を持っているようだ。

f:id:tomzt:20201103162256j:plain

 最後にショップで『京都市美術館名品百選』を購入した。 

京都市美術館名品百選

京都市美術館名品百選

  • 発売日: 2020/03/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  これはかがり綴じ製本になっていて見開きの図録を見るにはちょうど良い。やはり図録はかがりだなと改めて思ったりもした。

f:id:tomzt:20201110194443j:plain
f:id:tomzt:20201110194834j:plain
f:id:tomzt:20201110194938j:plain