アーティゾン美術館-印象派の女性画家たち

 4階のフロアでは石橋財団コレクションが展示されている。所謂常設展示だが、ここは所蔵作品が豊富なので簡単にミニ企画展ができてしまう。フロアの中で二つの小企画展が行われている。

 その一つがパウル・クレー

石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 新収蔵作品特別展示:パウル・クレー | アーティゾン美術館

 そしてもう一つが印象派の女性画家の企画展。

石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 印象派の女性画家たち | アーティゾン美術館

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 抽象画家、バウハウス教授、パウル・クレーには実はあまり食指が動かない。なんとなく楽しい雰囲気とかを感じるけど、今一つ心が動かない。古賀春江や多分難波田龍起とかが影響受けたんだろうなとか思いつつも、そういう美術史みたな言葉で解釈してしまうような部分がある。この手のものを理解するにはけっこうな理性、知識が必要なのかもしれないなとか適当に思う。

 それに対して印象派の女性画家というと、これは自分にとってはドストライクな部分でもある。まあ印象派、女性といえば、カサット、モリゾ、ゴンザレスといったところはすぐに思い浮かぶ。そこにもう一人、マリー・ブラックモン。このブラックモンはほとんど知らない画家でちょっとばかり新鮮だった。

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「セーブルのテラスにて」(マリー・ブラックモン)

 中央の男性は友人だったファンタン=ラトゥール、そうあのバラの細密描写の絵で有名な御仁、左側で正面を見ているのはラトゥール夫人とか。右の白地に青みのかかったドレスを着ているのはブラックモン自身と伝えられているのだとか。

 配布されている小冊子のプロフィールによるとブラックモンは10代の頃から絵を学び、最初は新古典主義の大家アングルに学び、版画家フェリックス・ブラックモンと結婚の後に、夫と交友のあった印象派画家マネ、ドガシスレー、モネらと親交を結ぶようになったという。ラトゥールとの交流をその頃からなのだろうか。アングルに学んだ新古典主義の画力をベースに印象派の光の表現を色彩表現を展開していったというのが、この一枚にもよく出ていると思う。

 この印象派の女性展では最初にカサット、次にモリゾ、そしてエヴァ・ゴンザレスときて、最後にマリー・ブラックモンとくる。いわば西洋絵画史の王道のような感じである。最初のカサットは2点が展示してある。まずは晩年の作品。

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「娘に読み聞かせるオーガスタ」(メアリー・カサット)

  この作品は1910年のものだが、カサットは1911年に糖尿病、リウマチや白内障を診断され1914年には絵筆を置くことになる。晩年は視力が極端に落ちたという話もある。そういう意味ではキャリア最晩年の作品ともいえる。ここには印象派の光に移ろう色彩のゆらめきを表現するような手法から、古典主義の構図表現に近くなっている。この絵はもう印象派のそれではない、どこか平面的な部分も伺える。色使いの鮮やかさはあるがどこかイギリスの肖像画に近い雰囲気をもっている。

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「日光浴(浴後)」(メアリー・カサット)

 これはまさしく印象派の筆致だ。しかも構図には確実に浮世絵の影響がある。しかしこの色使いは他の印象派にはないものだ。なんとなくパステル画あるいは水彩画を思わせる淡い色遣いが美しく、カサットの中でも代表作といっていい部類ではないかと思っている。1901年、画業の最盛期の安定した作品だ。

 そして次に展示してあるのがベルト・モリゾの作品だ。カサットと共に印象派の女流画家の代表選手でもある。影響を受けた画家との関連よくいわれるのは、ドガに師事していたカサットはデッサン力に優れているとか、マネの影響化にあったモリゾは黒の色遣い、筆触による色彩表現に優れていたとかいろんな話が出ている。晩年、西洋絵画の本とかも出している美術愛好家でもあった大橋巨泉は、印象派の女流画家を評して、最も画力があったのはカサットで、モリゾとゴンザレスはお嬢さんの余技みたいな言い方をしていた。まあこれも実は好き好きだと思っている。

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「バルコニーの女と子ども」(ベルト・モリゾ

 「印象派の女流画家」の小冊子にも表紙で使われている。解説でも「モリゾのがれきにおいて最も評価された作品の一つ」とある。同感である。ベルト・モリゾの代表作とじぶんも認める。素晴らしい絵だ。さらにいえば印象派の活動の最盛期でもある1870年代にあって、印象派の作品群の中でも最も優れた作品の一つといってもいいのではないかと思っている。もともとベルト・モリゾのファンである自分からすれば、そのくらいの賛辞を献じたいと思う。

 マネの影響を取り入れた黒の表現、それとは別に彼女が得意とした白の衣服の表現、人物にスポットを与えつつ、遠景にセーヌ川とパリの都市風景を配した構図。手前に半分に切られた花瓶を置いた台座といった表現は浮世絵のそれだ。小冊子にも「マネやカイユボットと並んで、モリゾは新しい都市パリの風景を印象派の技法で捉えて」いるとあるが、その通りだろう。印象派による都市の景観画としてはカイユボットと晩年、眼病のため屋外での絵画制作ができなくなったピサロなどもものにしているが、それらと違いモリゾの作品はあくまで人物をメインにした表現だ。

 母子と思われる人物を二人をメインにした親密性、遠くに描かれる都市風景、母子の衣服に現れる印象派の表現などなど、当時のニーズに沿いながら自己の希求する技法をに基づいて表現する才知、それらがキャンバスに結実した作品だと思う。

 そしてもう一人の印象派女流画家、エヴァ・ゴンザレス。マネのモデルかつ弟子であるという点ではベルト・モリゾの同列にみられることが多い画家でもある。より好奇な見方としては、マネをとりあった二人の女流画家とか、マネをめぐりモデルから愛人関係にいたった二人の女流画家などとスキャンダラスに語られることもある。ベルト・モリゾを描いた映画の中では、年長のお気に入りモデルであったモリゾから若いゴンザレスに関心が移る好色なマネとそれに煩悶するモリゾみたいな描き方がされていた。

 一方でそうした愛人関係とかいう好奇な見方とは別に、ベルト・モリゾエヴァ・ゴンザレス共に両家の子女であり、モデルや絵画指導等があっても子弟二人だけの親密な関係になる機会はほとんどなかったのではないかという穿った見方も何かで読んだ記憶がある。それらをおいても今回展示してあった作品は素晴らしいものだと思う。

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「眠り」(エヴァ・ゴンザレス)

 エヴァ・ゴンザエスの代表作といわれる「朝の目覚め」と対になる作品だが、個人的にはこの作品の方が気に入っている。目を閉じた女性の表情が目覚めてばかりの表情よりも美しく、より親密性を感じさせるからか。表現は印象派のそれであり、枕、女性のネグリジェ、シーツなどの色使いは印象派のそれだ。人物の描き方や背景の表現などにはマネの影響の後が感じられる。

 印象派の女流画家、今回の陳列順もカサット、モリゾ、ゴンザレス、ブラックモンと続く。まあ大方の評価、知名度としてもそういうことになるのだろう。そのうえでなんとなくカサットが一番年長というようなイメージがあるのだけど、生年、没年を表にしてみるとこんな風になる。

  生年 没年 年齢
マリー・ブラックモン 1840 1916 76
ベルト・モリゾ 1841 1895 54
メアリー・カサット 1844 1926 82
エヴァ・ゴンザレス 1849 1883 34

  カサットとモリゾではカサットの方が年上みたいなイメージもあるのだけど、モリゾの方が3つ上になる。カサットはアメリカ人で、金持ちの異邦人のお嬢さんというポジションだったので、印象派の女流画家ということでいうと、当時的にはブラックモン、モリゾがメインストリームにいたのだと思う。さらにいえばエヴァ・ゴンザレスは完全に妹分みたいな存在だったのかもしれない。薄命で活動期間も短いし。

 さらにいうとこの四人とも両家の子女、要は金持ちの出なのである。だからこそ19世紀後半という時代に絵画という世界で生きてこれた。貧乏だったら絵だけで女性が生活する訳にはいかないでしょう。それぞれどういう出自かを書き留めるとこんな風になる。

マリー・ブラックモン:父親が海軍士官

ベルト・モリゾ   :父親が県官吏という高級官僚

メアリー・カサット :父親が成功した株仲買人、母親は銀行家の子女 

エヴァ・ゴンザレス :父親が帰化した著名な作家

  金持ちの子女で、教養のために絵画を学ぶ。そうした中で才能を発揮させたのがこの四人ということになるのだろうか。解説書によるとモリゾ、カサットは友人関係にあり、モリゾとゴンザレスも交友関係があったという。まあ画家グループの中でも女性は少数だったから自然と交友をもつようになるのだろう。女子だけのプライベートな話というのも沢山あるだろうから。

 カサット、モリゾ、ゴンザレスには姉妹がおり、姉妹の仲も良かったと伝えられている。どうしても女性ということで男性との関係もいろいろ推測されるし、上記したようにモリゾ、ゴンザレスはマネとの関係も取りざたされる。さらにいえば印象派グループやそれ以外の画家との間でも、恋のさや当てなんかがあっても別におかしくはない。

 さらにいうとこの四人の中でカサットだけが生涯独身だったという。とはいえカサットもドガとの師弟関係だったのかどうかも憶測と共に語られることがある。カサットとドガはある時期から関係を断つことになるけど、まったく音信不通であったということもなかったとも。ドガが死んだ後にカサットは、ドガとの書簡を総て燃やしたということを何かで読んだことがある。これもまた意味深な話だ。

 四人とも新古典主義自然主義の著名の画家の元で絵画を学び、ルーブルで名画を模写して修行を続けたという。当時のルーブルには絵を模写する画家の卵が群雄していたということだけど、そういう風景を目に出来たらどんなにか楽しいだろう。当時のルーブルを舞台にした映画とかもしあったら観てみたいと思ったりする。