弘田三枝子が死んだ

弘田三枝子さん死去…73歳心不全 69年「人形の家」大ヒット、日本レコード大賞歌唱賞受賞 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

 ツィッターに流れてきた。73歳、意外と若い。ほぼ段階世代といっていい。記憶的にはもう少し上の印象があるのだが、デビューしたのが1961年、14歳だったという。自分が小学生の頃に聴いたのはほぼほぼ彼女が十代の頃だったということだ。

 ごくごく初期の記憶として弘田三枝子や森山佳代子、坂本九水原弘なんかを聴いていた。まだ歌唱力とかそんなことがわかるような歳じゃなかったけど、彼女の印象はけっこう強く残っている。オールディーズ、いや60年代的にはオールディーズじゃない。ロックンロールやポップのカバー曲を器用に歌った。基本、元気のいい可愛い子ちゃん的な感じだったが、時にアンチの聴いた、こぶしをきかせる。そのへんはティーンズ・ポップスというよりもロックンロールそのものだった。


弘田三枝子 ヴァケイション


ビーマイベイビー/弘田三枝子


砂に消えた涙

 しみじみ聴いている。

 自分らの世代からすれば、整形して痩せてほとんど別人のような姿でカムバックした「人形の家」の頃から彼女をのことを覚えている人が多いと思う。多分、60年代の彼女を知っているのは自分なんかよりは少し上の世代だとは思う。でも、自分はこの頃の弘田三枝子を強く覚えている。ことポップスに関してはそこそこ早熟だったのかもしれない。

 音楽番組の「ヒットパレード」も見ていた。だから70年代以降になってポール・アンカとかニール・セダカに代表されるようなオールディーズに子ども心的にはほぼ同時代で聴いていた。もっとも英語の原曲ではなく、もっぱら日本人のカバー曲で覚えたということだ。

 そういう意味では自分は、弘田三枝子、森山佳代子、ザ・ピーナッツ、伊藤ゆかり、園まり、中尾ミエ坂本九といった日本人のカバーで洋楽ポップスを知ったのだと思う。

 そういう意味ではとても淋しい気持ちになる。

 弘田三枝子、ご冥福をお祈りします。

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