仕事を辞めることになると思う

 多分、仕事を辞めることになると思う。具体的には9月末か10月の頭になると思う。任期的にはあと1年ある。年金が満額支給されるのも来年の誕生日からだ。でももうそろそろ潮時じゃないかとずっと考えている。

 64歳である。ここまでずっと仕事をしてこれただけでも僥倖とでもいえるのではないかと思う。何度も書いていると思うけど、6度も仕事を変わった。3度目か4度目の転職をした頃、知人に「あんたは本当に根無草みたいだね」と揶揄されたことがある。取り敢えずアハハと笑い飛ばしたが、あまりいい気分ではなかった。その知人は同じ会社に勤め続け、鬱積を身体に溜め続けた果てにアル中からくる肝硬変で亡くなった。そういうものだ。

 ずっと本の世界、本を売る仕事についてきた。大学を卒業する間際、その時確か流通業、チェーンストアのどこかに就職が決まっていたのだが、急に会社勤めが嫌になって急遽大学内の本屋を見つけ就職した。安月給だったが一日中本に触って過ごすことができた。新学期には一月の残業がゆうに100時間を超えることもあったが、まったく苦にはならなかった。入ってくる新刊を誰よりも早く手にし、気に入った本はすぐに購入した。

 もともと子どもの頃から本屋に通うのが、本屋にいるのが好きだった。最初はマンガの立ち読み、それから学参の類を手にとったり。じきに小説とか社会問題に関する本などを手にするようになる。中学から高校の頃には、半日くらいずっと本屋で過ごしていた時期もあったのではないか。

 でも、本屋だけでなく本を扱ういろいろな仕事をしたかった。なので5年かそこらで取次に移りそこでも4〜5年勤めた。父が死に、世話をしていた祖母が何度かの入院の後で老人ホームに入った。やっと一人で生きられるようになってから小さな出版社に移った。それからは2〜3年で数社出版社を転々とした。

 40歳になる直前に今の会社に入りすぐに結婚した。それから20数年、まあよく続いたもんだとは思う。6度の転職をしながら不思議と失業の期間がない。会社を辞めると決めたらすぐに次の場所を探した。いつこれる、できるだけ早くみたいな感じで、辞めた翌日には次の会社にみたいなことばかりだった。いまでは多分信じられないことだが、これもまた幸運な時代だったのだろうと思う。

 そういう意味では40数年ずっと働き続けてきた。そして少々疲れた。15年前、カミさんが病気で倒れてからは、家事、介護、子育てものしかかってきた。もう必死で目の前のことをいかに克服するかが総てだった。カミさんが倒れた後の数年はある意味相当にピンチだったのだろうが、その時はとにかく一つ先のことを考える、いくつかの選択肢をこしらえてベターな一つを選ぶ、そういうことでやってきた。ある意味、自分の仕事のスタイルはそのへんで形成されたかと思ったりもする。まあ一言でいえば、それなりに準備する、想定外を許さないというようなことだ。

 なので、3.11後の混乱でもこと仕事的にはうまく対処できたように思ったりもする。本当は原発震災での健康被害といった面にも配慮するべきだったのだが、そのへんはすっぽり抜けてとにかく仕事のことだけだったかもしれない。

 そうやって仕事をし続けてきた。もちろんカミさんのことも一応きちんとやってきたつもりである。子どものことも頑張ったつもりだが、子どもはからは「一度もほめてくれなかった」とか「怒ってばかりいた」とか言われる。まあ余裕はなかった。

 子どもが私立の高校にあがり、そこにはいわゆる学食がなくて毎日弁当を持たせることがわかったときには目の前が真っ暗になった。それでも一応、弁当を作って持たせた。「冷凍食品が苦手になったのはお弁当のせい」と笑って言われるが、まあ仕方がないと思う。

 とりあえず子どもを大学までいかせた。少々金のかかるところだったが、なんとかなったのは50代過ぎてから仕事量に比例して収入が増えたこともあるのだろう。

 しかしいい加減身体がついてこなくなっている。おまけに最近はカミさんも可動領域がどんどんと狭まってきている。45歳で障害者になった彼女は、病気の割りにはけっこう頑張ってくれていたと思う。倒れて直ぐに脳神経内科の先生に、「良くて車椅子、悪くければ寝たきり。そのくらい重い梗塞巣がある」と言われて目の前が真っ暗になった。

 でも、転院したリハビリ病院での都合6ヶ月の治療、リハにより、短い距離であれば伝い歩きや4点杖での歩行ができるようになったし、立位、座位も安定していた。なので入浴介護も割と普通に自分でもできた。でも、コロナの影響でデイケアも2ヶ月近く休みなったこととかもあるのだろう、彼女の可動領域も急速に狭まってきている。洗い場での椅子から立ち上がって、浴槽に入るのももう一人ではできない。なんなら風呂場から脱衣場に出ることも難しい日もある。その都度、自分が先にでて椅子を用意したりとかするようになっている。

 仕事をしながら介護もかなりしんどい状況になりつつある。自分も歳だし、以前のようにふんばれない部分も増えてきている。カミさんもまた年相応の身障者になってきている。

 多分、仕事を辞める第一の理由は、仕事と家事、介護の両立が難しくなってきているからだと思う。もちろん仕事についての諸々もある。もはやモチベーションを維持するのが難しい局面になりつつあるの事実だ。そのへんはちょっとずつ書いていきたいとも思う。

 今、辞めるとなると年金は本当に雀の涙みたいなものだ。でも多少の蓄えはあるし、借金もない。カミさんは年金が出ている。子ども少しずつ自立し始めている。

 潮時がきたという思い、多分そういう時なんだと思う。