パワポデビュー

 訳あって、先週からパワーポイントを使って資料を作っている。これまでもらった先方からのプレゼン資料が当然のことながらパワーポイントなので、それにそった形である種の回答出す関係でそういうことになった。さらにいえば業務のフローチャートをシステムのメニューごとに作るので、ワードやエクセルよりも図を引くのがなんとなく簡単そうな雰囲気があったため。

 パワーポイントはまあいじったことがない訳でもないのだが、実際に資料を作るのは初めて。仕様や操作も実はよくわからない。とはいえ、まあこの手のソフトについてはジイさんなりにこれまでの経験値もあるのでまあなんとなくわかる。しょせんはマイクロソフトのファミリーみたいなものだし、直感的にこんなものだろうという形で進めていくことができる。

 まあ最近のソフトはそれなりによく出来ているから、マニュアル首っ引きで操作を一からみたいなことはないなとは思う。

 パワーポイントについては最初にそういうソフトがあるのを知ったのはいつ頃だろう。多分かれこれ20年前くらいだろうか。当時住んでいたマンションの管理組合の理事をやることになったときに、理事長になった方が割とIT系に長けている方で、情報共有にはメーリングリストを使ったり、当然毎回の資料もパワーポイントを使ったものがでてきた。さらに年一回の総代会でもパワーポイントの資料をスライドでみせる。ようは総代会がプレゼンテーションになっていた訳。

 そのときの自分の感想はというと、なんだこれは電脳紙芝居かというものだった。とはいえ明らかに自分より10以上若いそうした方々のスキルみたいなものはけっこう新鮮な感じがした。

 管理組合の理事とかいうと、ただただ面倒臭いもの、輪番で回ってくる1年間の苦行みたいな印象があるにはあるのだけれど、実はそのときに感じたことは、けっこう面白いというものだった。当時としては目新しいメーリングリストによるデータ共有とか、メールに添付してファイルをアップなど、今ではもう当たり前のようなことでも、その頃的には本当に斬新な感じがした。まあメーリングリストなんかはすぐに廃れたようにも思わないでもない。

 自分の勤め先でもまだビジネスメールのやりとりなどは、ようやく始まったばかりだったこともあり、理事会の仕事はけっこう面白かったところもある。その頃、自分はというとWindowsマシンもじょじょに使い初めていて、家でも3,1から95あたりを使っていたのだと思う。

 90年代はそれまでの98マシンからWindowsマシンに切り替わる頃で、それまでのソフト資産がほとんど継承されない問題とかに直面していたように思う。そしてLotus1-2-3からエクセルに、新松からワードにと使うソフトも変わり、使い勝手の悪さに閉口しながらもじょじょにWindows環境に慣れ始めた頃が2000年前後だったのじゃないかと、そんなことを思い出している。

 ということで2000年代に入って数年過ぎたあたりでのマンション管理組合理事会でのそうしたITの活用には、なんとなく異業種交流みたいな感じがしていた。実際、そこでの情報共有の仕方はその後の仕事に活かされた部分とかも少しはあったかもしれない。

 とはいえパワーポイントについていえば、基本的にはいつまでたっても電脳紙芝居ツールという認識はまったく変わっていない。まあ仕事が現業部門なので、特にプレゼンなどを行うということはないので、報告書などはエクセルとワードがあれば事足りてしまう。

 まあ今回は必要に迫られてということで、パワポを使って20枚前後の資料を作成した。今後、新しい環境下で新たなデータベースを使ってシステムを構築するための基本資料となる、多分そのはずである。

 しかし還暦も遠に過ぎて初パワポというのには、なんとも悲哀を感じる部分がある。今さらこの手のスキル身につけてどうするというのだろうか。