近代美術館「窓展」

 久々、竹橋の近代美術館へ行く。妻と車椅子を購入した後、都内に出て上野に行くか竹橋に行くか、しばし思案。最近、あまり行けていない近代美術館へ行くことにする。現在やっている企画展に興味があったこともあったし、上野の西洋美術館とともにここは自分にとってベースになるところでもあり、隔月くらいではいきたいと思っていることもあるため。

 いつもの北の丸公園の駐車場を目指すが、なにやらイベントがあるのか全部貸し切りで使用できない。こうなるとダメかと思い、上野に行くことも考えるが、考え直して毎日新聞社の地下の有料駐車場に駐めることにする。けっこう高そうだけど、まあ致し方ない。

 やっている企画展は「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」。

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窓展:窓をめぐるアートと建築の旅 | 東京国立近代美術館

わたしたちのくらしにとって窓はほんとうに身近なもの。それは光や風を室内に取り入れながら、寒さや暑さからわたしたちを守ってくれます。また、室内にいるわたしたちに外の世界の新鮮な眺めをもたらしてくれます。
「窓学」を主宰する一般財団法人 窓研究所とタッグを組んで行われるこの展覧会では、アンリ・マティスの絵画からカッティングエッジな現代美術、また美術の枠を飛び出して世界の窓の歴史まで、さまざまな切り口で窓についてご紹介します。美術家たちが愛し、描いた窓辺の情景や、日常生活に活かせる窓の知識などが、ジャンルを横断して会場に並びます。きれいな作品、楽しい作品、どきっとする作品、考えさせられる作品。さまざまなタイプの作品があるので、誰でもきっとお気に入りがみつかるはず。
展示室を後にしたとき、いつもの窓がちょっと違って見える―― そんな機会になればと願っています。 

  窓学を主宰する窓研究所というのがなんか凄い。まあ窓というのは室内という内的世界から外的世界に開かれた入り口でもあるし、外的世界を切り取ってみせる部分もある。いろいろと興味深いものがあるのだが、全体としてマイクロソフトwindowsについての言及があまりなかったのが、なんとも微妙というか。やはり芸術的視点と無味乾燥なコンピュータのオペレーティングシステムは相容れない部分もあるのか。

 開口一番この解説パネルがあり、けっこう自分には興味深い内容。

窓の世界へようこそ。

 約600年の昔、イタリア・ルネサンス人文主義者、レオン・バッティスタ・アルベルティは、著者『絵画論』(1436)の中で、絵画と窓について次のように述べました。

「私は自分が描きたいと覆うだけの大きさの四角のわく(方形)を引く。これを私は、描こうとするものを通して見るための開いた窓であるとみなそう」

 窓は、室内にいるわたしたちに、四角い枠に囲まれた外の世界の眺めをもたらしてくれるもの。絵画もまた、「今ここ」にいるわたしたちに、四角い枠に囲まれた『ここではない世界』の眺めをもたらしてくれるもの。アルベルティが「絵画=窓」と簡潔に定義して以来、数えきれない画家たちが窓にインスピレーションを受けて作品を制作してきました。同じ関心は、写真、映像、インスタレーションといった新しい技法のうちにも受け継がれ、今日に至っています。

 これから始まる14の章では、絵画に絵画に描かれた窓、写真や映像作品に映された窓、建築とアートを結ぶ窓、窓の内側にいる個人と窓の外に広がる社会について考える窓など、窓とアートと建築をめぐるさまざまなテーマをご紹介します。

 窓は世界を切り取り再現したり、再構成する。それを描こうとするものを通して見るための窓と表現したアルベルティは、芸術家の方法論を端的に表現している。キャンパスは画家にとっての窓であり、建築家にとっては構造物とその周囲の環境世界をつなぐものでもあり、社会科学的には個人と社会をつなぐ媒介でもあるのかもしれない。

 窓という切り口の換用表現は多彩であり、様々な表現手段、技術手段との連関が可能とはまさにという感じである。

 まあ、その手の理屈は知識のない自分にはとても展開できるようなものでもなく、思考は多分破綻するので深入りはしない。

 この企画展では前からみたかったマティスの作品が楽しみだった。

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『待つ』(アンリ・マティス

 愛知県美術館所蔵のこの作品は以前から知っていたし、観たかった作品。この作品を観るだけでこの企画展に来るだけの価値がある。この作品に愛知県美術館による詳しい解説がある。

https://www-art.aac.pref.aichi.jp/collection/pdf/2017/apmoabulletin2017p4-22.pdf

 物語性を作品に持たせないマティスにしては、珍しく暗示的な内容が込められている。実際、この作品を観ていると、彼女たちは何を待っているのかという物語的想像力を想起させてしまう。

 彼女たちの服装は色彩感覚豊かなマティスにしてはモノトーンな落ち着いた雰囲気の文様であり、遠近感といった構図よりも平面的な表現を重じる画家にしてはこれも珍しく遠近法がしっかりとしており、画家の視点、モデル、窓外の景色が立体感をもっている。

 それらを別にしても全体として静かな雰囲気に満ちた美しい作品だ。彼女たちが待っているものは具体的な人物ではなく、もっと抽象的な何かかもしれない。