再びMOMATへ

 都内で打ち合わせを2つ終わらせて時間を見ると3時過ぎである。会社戻れば5時近くになるのでさすがにそういう気分にもなれずで、割と近くにある竹橋の近代美術館に行くことにした。ここには12日に行ったばかりで、5日ぶりという。何か月も行けないこともあれば、こういうこともあるのである。

 ウィークディなので閉館は5時。正味で1時間半ちょっとである。前回はゆっくり常設展を観ているので、今回は企画展の方をメインにしてみる。

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 別にアニメなどに興味もないし、ジブリも話題作くらいは観るがそえほど熱心という訳でもない。しかし亡くなった高畑勲にはそれなりのリスペクトをする部分もある。展示された様々な資料類にはけっこう興味深いものがある。

 まずなによりも高畑が東映動画出身であるということに驚く。我々昭和時代のオールドからすれば、ディズニーアニメを別にすれば、アニメは虫プロ手塚治虫というよりも、どちらかといえば東映動画なのである。なんか小学校の体育館とかで教育の一環みたいなことで上映したのを観た記憶がある。覚えているのはソ連アニメの『森は生きている』と東映動画の『安寿と厨子王』である。その『安寿と厨子王』に作画スタッフとして高畑勲は参加している。そのことに正直驚いてしまった。

 さらにテレビアニメの『狼少年ケン』でも何作かの監督をやっている。日本アニメのレジェンド、草分け的存在といってもいいのだろう。高畑が監督した『狼少年ケン』は「ゴリラの王様」という回で、自分にはほとんど記憶はないのだが、ゴリラ達がテレビで自分たちが出ているアニメを観ながら、ああでもないこうでもないと感想言ったり、喜んだり、騒いだりという、ちょっとメタ感覚のある凝った作品になっていた。

 その他で面白かったのは、昭和時代とあって企画書、連絡の手紙が全部手書きである。絵コンテとラフの進行もすべて手書き、便せんや集計用紙を使っている。まあ当たり前といってしまえばそれまでなんだが、ワープロ万能の世の中となってはそれが本当に新鮮に思えた。手書きの絵、手書きの文章によって紡いでいく、アニメの草創期はそういいうことだったのだ。

 後は『アルプスの少女ハイジ』のジオラマや模型なんかが興味をひいた。放映された頃は多分中学生か高校生くらいなので、直接観た記憶はないのだが、なんとなく懐かしい思いがした。

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 高畑の作風は晩年の『隣の山田君』から大きく変わった。ラフな線描と背景の省略。その集大成が『かぐや姫』であることが判る。こういうのは時代的変遷を丹念に追った今回の回顧展だからこそわかるものかもしれない。アニメ好き、ジブリ好きは一度は訪れた方がいいと思う。