福沢一郎展-このどうしようもない世界を笑いとばせ

 近代美術館では最初に「福沢一郎展」を観た。

 以前から近代美術館で観るたびに、ちょっと面白い画家さんとは思っていた。シュールリアリズムというか風刺画、パロディ的センスのある画家さんという印象だ。

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四月馬鹿

 まあこういうのを戦前に発表していたということでいえば、先進性というか時代を超越しているように思ったりもする。ヘタウマ版マグリットという感じだ。

 それに対してこの「牛」は画力というか、その力強い表現になにか引き込むものがあると感じ、ずっと記憶に残っていた。

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 よく見ると牛は穴ぼこだらけである。これは1935年に満州旅行したときの作品だという。表層的な力強さに透けてみえるのは満州帝国の欺瞞性みたいなものか。後方の人々のスケッチも意味深である。

 そしてほぼ同時期に描かれたこの作品も印象に残る。

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 ここには皇国日本の発展も、満州国の繁栄もない。40年代に共産主義を疑われて一時拘禁されたというのもなんとなく理解できる。

 多くの画家がある時期同じようなスタイルの、モチーフ、テーマによる絵を描くのは通例だが、福沢一郎も同様である。その傾向が非常に強いともいえる。

 戦後、メキシコや南米を旅行した時期には、そうした傾向がはっきりした原色カラーの作品が描かれる。ある部分、このへんが最もこの画家の個性が出ているような気もしないでもない。理屈で描いた作品ではないような、そんな個性が。

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埋葬

 そして1970年代、オイルショック後の例のトイレットペーパー求め殺到する消費者の行動は芸術家の目にはこんな風に映っていた。これこそある意味、芸術家が射止めた世相の深淵というものかもしれない。

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トイレットペーパーと地獄

 この画家はそう簡単には理解できない手強そうなタイプ。出来れば何度かこの回顧展に足を運びたいところだが、果たして再見することは可能だろうか。群馬出身ということで富岡市立美術博物館などにまとまって収蔵があるようだ。いつかこちらも行ってみたい。