その後は常設展へ

 企画展の後はいつもの常設展へ行く。4階の一番メインの場所には鏑木清方の「明治風俗十二ヶ月」が。この人の美人画は観ていてうっとりさせられる。

 突き当りの原田直次郎「騎龍観音」を過ぎて逆側に行くと、久々に古賀春江の「海」に出会う。なんとも不思議な絵だが、古賀の才気とポップな雰囲気が、1929年(昭和4年)という時代からすれば恐ろしく突き抜けたものだったのを感じさせられる。

 この絵と古賀春江に関してははこのサイトが詳しい。
古賀春江《海》──空想のユートピアを超えるために「大谷省吾」:アート・アーカイブ探求|美術館・アート情報 artscape
 この絵に描かれたモダンガールのモデルがグロリア・スワンソンであることが判ったという記述もなんとなくワクワクさせられる。グロリア・スワンソンは戦前人気のあった女優なんだが、自分等にとってはビリー・ワイルダーの「サンセット大通り」の忘れら去られた往年の美人女優役での姿が印象的だ。その女優た確かサロメ役に固執してるんだったが、ほとんど化け物っぽくて、最初に観た中学生くらいの時分にはちょっと怖いイメージがあった。
 この映画は往年の美人女優が老醜を晒すというショッキングな映画の走りで、その後にはベティ・デイヴィスジョーン・クロフォードによる「何がジェーンに起こったか?」なんかがある。あれも子ども心には怖い映画だった。
 「海」の隣には靉光の「眼のある風景」がある。古賀春江靉光は日本抽象絵画の先駆者なんだろうとは思う。それは多分に日本の洋画が西洋の模倣、習作から脱して、自らのオリジナリティある芸術性を開花させていく過程なのかもしれない。もちろんこの「眼のある風景」だって、同時代的にはダリ、フェルナン・レジェ、マックス・エルンストあたりとの共時性と共に、影響性を指摘できるのかもしれない。
 古賀春江の「海」についていえば、以前どことなくマグリットとの近似性みたいなことを思いついたことがあったのだが、時代的にいえば古賀の方が先行していたりもする。マグリットが東洋の前衛画家の作品を目にしたことがあるかといえば、多分それはないだろうとは思う。そういう意味では、ヨーロッパと東洋の辺境とで、同じようなイメージからの作品が生まれるというのも20世紀の共時性みたいなことなのかもしれないなと思ったりもする。
 日本洋画が西洋絵画の模倣からオリジナリティを獲得していく過程で、写実主義印象派などを積極的に消化していくのだが、同様に現代絵画を模倣習作していくということも盛んにおこなわれたんだなと思わせるのが、伊原宇三郎「室内群像」。井原はほとんどピカソに心腹していたらしいが、ある時期のピカソそのものといっていい。とはいえ構図、色使い、総てにおいて傑作といえる作品だとは思う。

 その他で今回面白った作品を幾つか。
 同じ古賀春江の「考える女」
 いろいろとスタイルに変遷のある人なんだと思う。以前、同じ近代美術館での展示でパウル・クレーに影響を受けていた頃の古賀春江の絵とクレーの作品を併設してあったのだが、この「考える女」は写実的というか。まあ一種の習作なのかなと思ったりもする。

 小杉放菴(未醒)「水郷」
 プロポーションを高めたような垂直性を意識した構図はどことなく浮世絵のような大胆な印象をもつ。漁師という題材のせいか、どことなくシャヴァンヌの「貧しき漁師」を想起させる部分もある。