伝通院

 金曜日、同僚が急に具合が悪くなった。メモを手に来て急に呂律が回らなくなった、都内の医者に行くので早退するという。呂律が回らないというと脳梗塞と反射的に考える。頭痛がないか、手足の痺れはと聞くと、特にないという。歩くのも普通だとも言う。住まいが都内のため、知っている病院へとも言うので最寄駅までは送っていった。
 その後は心配していたのだが、だいぶ遅くになってからメールがあり、やはり脳梗塞との診断で、即刻入院したという。期間は一週間から10日というので、割合軽い症状のようでそれはそれで一安心。見舞いは無用とも書いてあったが、一般社員ではなく役員であるので、会社としても病状をきちんと把握しておく必要ありと返事を出した。
 そういうやりとりがあり、病院、病室等の返事をもらっていたので、今日見舞いと様子伺いに行く。いちおう友人に聞いて、ゴディバのクッキーと見舞金を持って行く。
 病室に行く前に、コンビニで買い物した帰りの先方から呼び止められ、そのまま休憩室で少しだけ話をした。脳梗塞の症状はだいぶ軽いようで、脳の詰まった血管部分については、薬で溶かしたとかで、言葉も普通に話していた。これからは毎日、CT、MRIと検査が続くとのこと。退院は一週間後くらいとのことで、早ければ連休明けには出社可能とのことだった。まあ病気が病気なので、あまり無理せず、五月の中旬くらいからの出社でもかまわないという話をして早々に退散することにする。
 病院を出てすぐに、部活帰りの子どもと合流する。子どもは昼飯をご馳走してもらう目的。神楽坂の回転寿司屋に入り、しこたま食べることにする。それから少し散歩することにして、神楽坂から後楽園に向かって歩く。途中で伝通院の前を通ったので、中へ入ることに。以前、後楽園近辺の会社に勤めていたこともあるのだが、伝通院に来たのは初めてのことだ。この近くに幸田露伴森鴎外が住んでいたというのを何かで読んだことがある。露伴は伝通院の先生と呼ばれていたなんて話もあったようなないような。裏覚えだが小林勇のエッセイで読んだ記憶がある。
 このあたりにヒゲの老大家が起居し、その世話を娘の幸田文がしていたということか。境内に入るとすこしだけ周囲とは違う空気になる。墓には徳川家康の生母を始め、著名な人物が多く眠っているという。多分、墓参りを兼ねた歴史散策に訪れる人も多いのだろうか。割と最近の作家では柴田錬三郎の墓おあるという。
 子どもはまったく興味はなさそうだったが、寿司の義理もあり付き合ったという感じだったか。