横山大観展再訪

 国会前のデモの後、お堀端を周回して竹橋の近代美術館に行った。二日連続ということになる。というのは、前日は横山大観の回顧展を観る時間が短くて、きちんと観ることができなかったから。さらにいえば大観の絵が良いのかどうか、きちんと観たらけっこう気に入るものかどうか、そのへんにあたりをもう一度つけたいという思いがあった。

 
 そのうえではっきり言うと、大観の絵はあまり食指が動かない。数多ある日本画の一つというところか。線描を排して色彩の濃淡で描くという朦朧体も今一つだ。さらにいうとこの人、意趣の力を強いし構想力には抜きんでたものがあるが、デッサン力がちと弱いようにも思う。日本画の大家をつかまえて俄かが何をいうと言われればそのとおりだが、まあそんな風に感じたのだから致し方ない。
 ついでに時々読み返している土方定市の『日本の近代美術』から横山大観菱田春草への解説部分を少し引用する。

ヨーロッパ中世のフレスコ壁画の色彩に比せられる、日本の古代、中世の仏画の、あの色彩の世界が忘れられて、色彩の世界を拒否した室町以後の水墨画の造形が、「純粋の日本画」とされ、線が日本画日本画とする本質的な造形とされていることである。そして、そこに、日本画、西洋画を問わず、絵画を絵画たらしめている不可欠の要素としての面(プラン)が、また、色の機能(役割)とともに忘れられていることである。(P86)

 この無線描法への指示を与えたのは天心といわれているが、ここで天心の二人の弟子、春草と大観とが日本画の線を、ここで一度、放擲して、西洋画法を積極的に日本画のなかに採用しようとした実験的行為は、やはり近代日本美術史の、いってみれば、深淵に身をおどらすに似た劇的な行為といわねばならない。というのは、線をなくすという行為は、まず第一に、これまでの線によって描かれた伝統絵画の描き方から解放されて、自然と人間から新しく学ぶことが一層、要求されてくる。次に、線をなくすと、そこに必然的に色面によって形を構成するより外になくなってくる。色画によって形を構成しようとするために、これまでの、ともすれば、説明的になり易い線による形態とはちがった、色画の抽象形態へのきびしい感覚が要求され、抽象形態の意識が生まれてくる。と同時に、色面による形の構成は、色面と色面との色の関係(色調なり、色のコントラストの関係なり)の問題が現われ、その色彩関係の色彩論を新しく解決しなければならなくなる。結果として、色が積極的に画面に現れてくる。(P87)

 色彩をを取り入れる、色面による構成ということであれば、浮世絵、北斎らの版画に学べばいいだけどのようにも思う。構図、色面による表現、すべてがそこにあるような気がする。高尚な日本画にあっては、大衆芸術たる浮世絵は軽んじられていたのではないかというような気もしないではない。
 西洋絵画に技法を積極的に取り入れる一方で、日本絵画の大衆芸術の側の進取な作品群に無頓着。なにやら島国文化と明治の軽薄な西洋追随の雰囲気そのままでもある。