鎌倉へ行ってきた

 午前中、池袋の歯医者へ行く。上の奥歯二本の治療で内金として12万払ってくる。歯の痛み以上に心が痛む。傷心である。
 とんぼ返りしてから天気がいいので竹橋の近代美術館へでも行こうと、家族に提案。お出かけ好きのカミさんはもとより、子どもも暇なせいかついてくる。道路も順調でスムーズに竹橋まで着くが、北の丸公園に入る道は閉鎖されている。周囲は花見客でごった返している。さすがにこの時期は、車で来るのは無謀ということか。北の丸公園周辺から千鳥ヶ淵、さらに靖国神社は桜の名所である。多分、今週が花見の最後。来週になってしまえば、みんな散ってしまうのだろう。
 本当は花見も少しして、近代美術館で川合玉堂の「ゆく春」を観たかったのだが、早々に断念する。それではどこに行くかとなって、相模原の墓参りでも行こうかと思ったが、カミさんが鎌倉へ行きたいという。これから鎌倉へ行くとなると着くのは3時過ぎ。その頃なら駐車場に空きも出るかとナビに鎌倉八幡宮駐車場と入れて出発する。道行は首都高で横羽線に入り横浜へ出て、横浜横須賀道路ということになる。
 途中で進化する首都高にナビがついていってなく、生麦の先で新横浜に向かう道へ入ってしまう。横浜の道路はどんどん進化している感じだ。しょうしょう遠回りになったが、新横浜から第三京浜に入りそのまま保土ヶ谷から横浜新道、狩場から横浜横須賀道路という、だいたいイメージしたとおりの道になった。その後はなぜか日野で降りることになり、鎌倉街道をまっすぐ行くことになる。
 この道は昔からよく知っている。公田から鎌倉女子大前を通り、北鎌倉へ抜ける。小学生から中学生の頃はよく自転車で走った道だ。だいたいにおいて子どもの頃は、鎌倉へはいつも自転車で行っていた。本当によく馴染んだ道である。
 鎌倉八幡宮周辺はけっこうな大渋滞で、目当ての駐車場は満杯。それでも段葛にそった若宮大路をそろそろ行き、二の鳥居の前にある駐車場に止めることができた。
 そこからは車椅子を押して小町の人混みの中を八幡宮を目指す。八幡宮へ行くのは何十年ぶりだろうか。今の会社に入る前に半年ほど、鎌倉のミニコミ誌の出版社にいたことがある。いい加減都内での出版営業に嫌気がさしていたこともあり、地方出版社でのんびりリフレッシュみたいな動機だった。とはいえその出版社はトップのワンマン会社であり、勤めて数週間でここはヤバイなという思いを持った、とはいえ年齢の40に近くけっこう焦燥感抱いていた。
 ちょうどその頃に以前勤めていた取次店の上司から今の会社を紹介された。まあ安定していそうだったので、移ってもいいかと思っていたところ先方も乗り気になり、とにかく早く来て欲しいと随分催促され、鎌倉には結局半年足らずでやめまた都内に逆戻りした。
 自分のキャリアの中でも半年で動くのというのは初めてのことで、これはいくらなんでも非常識とは思った。給料は安かったが立場的には管理職ということもあり、無責任といわれてしまえばそれまでだったが、その当時のその出版社はヤバイ雰囲気でもあった。とはいえその後、なぜか映画化もされるヒット作を出版して、けっこう盛り返して確か自社ビル買ったとかという噂を聞いたことがある。
 まあそんなこんなで鎌倉は割と馴染みがあるところではあるのだが。
 八幡宮の階段は相当にきついのだが、カミさんの手を引いてなんとか登った。彼女は以前日光東照宮の階段も登ったことはあるのだが、当時はもっと痩せていて体力もあったが、今度はどうかなと思ったがなんとか登りきった。片麻痺のため動く側の筋肉だけで体を引っ張りあげるので相当に大変なのだが、長い時間をかけて登る。まあ付き添う側も神経を使うし、細心の注意と忍耐が必要だが、カミさん的には小さな冒険みたいな部分もあるのだろう。「絶対、大丈夫だから」と言われれば、なんとかサポートしたいと思ったりもする。
 降りるときは側道の手すりがついた階段を使った。最初からこっちを利用すればもっと楽だったかなとも思った。