最後のいもや(多分)

 昼少し前に歯医者の予約を入れておいたので、午前中10時半少し前に会社を出る。これで歯医者が終了したら午後はのんびり美術館でも行って・・・・、となればいいのだが4時過ぎに会議が一つ入っているのでそういうこともできない。
 歯医者の後、御茶ノ水に出て出版健保でゴールデンウィークに行くことになっている淡路のホテルの宿泊費を入金する。健保の契約施設のため、宿代は一人一泊8000円。安いもんだと思うよ、それほど豪華ではないリゾートホテルだが、ゴールデンウィークということを勘定に入れれば、多分半額以下ではないかと思う。
 それから少し遅い昼飯をと思いどこにするかと思案すると、そういえば最近ツィッターで流れてきたことを思い出した。とんかつと天ぷらで有名な定食屋いもやが3月いっぱいで閉店するというのだ。ここのとんかつ、天ぷら、天丼、それぞれの店がこの一品だけで営業している定食屋だ。とんかつ店はロースのとんかつ定食とヒレカツ定食のみ。天ぷら店は揚げたての天ぷらだけ。天丼店も並とエビが多い上天丼だけだったと記憶している。品種を絞り、廉価でとにかく客数を稼ぐというのがこの店のモットーだった。
 自分が一番好きなのはとんかつである。自分の中でとんかつというと、それは横浜野毛のかつ半のとんかつ。子どもの頃から父親によく連れてかれたので、もうとんかつというとかつ半の味が一番に浮かんでくる。そのかつ半の味と割と似ているなと思うのがいもやのとんかつだ。
 いっとき、神保町に務めていた頃は昼食や夜食によく通った。最初、友人に連れていってもらって、おおかつ半と一緒やと感動したものである。もっとも美味いとんかつ屋の揚げたてのとんかつはたいてい同じような美味さであるということを知ったのは少し後になってから。でもいもやのとんかつはとにかく安かった。当時500円とか600円とか、そのくらいだったと思う。
 とんかつに比べると、天丼やてんぷらの方はというと、確かに揚げたてで美味いのだが、食べ終わって店を出ると、たいてい胸やけがしたのを覚えている。まあかっこんで食べているからなんだとは思うけど。
 神保町の交差点から白山通りを水道橋方面に歩くとまず天丼のいもやが現れる。なんと店の外までずらりと人が並んでいる。2時半くらいで昼飯時を遠に過ぎているのにである。まあ天丼よりもとんかつ目当てなので、そのままチラ見して通り過ぎる。お目当てのとんかつの方は天丼ほどではないがかなり混んでいる。とはいえだいたい昼時の混み方に近い。店内で順番がくるまでしばし待ってようやくカウンター座るとすぐにとんかつ定食がやってくる。揚げたてロースかつのやわらかさ、そしてソースで食す細切りキャベツ、しじみの味噌汁。まったく変わらない。
 なにか食べながら、ちょっとだけ目頭が熱くなりウルウルとしてくる。これが最後となるかと思うとやっぱり感慨深い。何か雑には食えないなと思いつつもそこはそれ、やはり大衆定食屋であるから雑に食う。そして回転率重視の店だし、自分の後ろにも順番を待つおっさんサラリーマンが列を成しているので、当然のごとく一気に短時間で食べる。定食屋の流儀である。
 勘定を払って店を出ると入り口のところに例の張り紙が貼ってある。残念ながら閉店は事実であり、現実なのである。もうこんな美味い定食屋は神保町にはなくなってしまうのかもしれない。昭和がね、遠くなっていくっていうのはこういうことなんだろうね。

いもやは、昭和34年来の約60年に亘って、皆様にご愛顧いただきましたが、3月31日を持ちまして閉店することとなりました。いもや店主