国立新美術館「ビュールレ・コレクション展」再訪

 午後、都内で会議。早めに終わったTwitterで知った駒場でのボナールについての講演でも聴きに行こうかと思ったが、会議が長引いたので時間的に無理になった。なので先週に引き続き六本木に足を運び、国立新美術館の「ビュールレ・コレクション展」に行くことにする。これで今月は、六本木に足を運ぶのは三回目。大昔、青山に勤めていた頃は、一時期毎日のように六本木で飲んだくれていたけど、埼玉の片田舎に引っ越してからはもう本当に足が遠のいたというか、六本木に来るのなんてそれこそ絵を観に来るため1年に1、2回という風になっている。なので月に三度なんて本当に珍しいこと。
 「ビュールレ・コレクション」は自分のストライク・ゾーンともういうべき印象派の名画が粒揃いで、これはもう本当に何度も観たいという感じ。やっぱり目玉のルノワール「イレーヌ・カーン・ダンベール嬢」は何度観ても美しい。ルノワールの最高傑作としてもいいかもしれない。色合い、構図、誰かが言ってたけどルノワールの黄金の十年だかの中でも最高の一品かもしれない。もっともよく見ていると、美しい横顔や長い赤毛に比して膝の上で合わせた手や腕が少し小さすぎないかと、何か構図の歪みみたいなものを少し感じないでもない。まあ写実ではない強調性は絵画の本質にも関わることなので、それほど気にはならないのだけど。

 その他では、セザンヌもいいしピサロシスレー、そして何よりもマネが描いた印象派風の絵が素晴らしいと思った。
<ベルヴュの庭の隅>

 マネは多くの印象派の画家に影響を与えたが、最後まで印象派展には出品せずサロンに固執した画家という。しかしこの絵などはまさに印象派そのものである。晩年のマネは自らが影響を与えた印象派の手法にも積極的に取り入れていたようにもみえる。この絵は梅毒の治療のため夏の間訪れた知人の別荘でのスケッチだという。
 マネが梅毒か。なるほど売春婦を積極的にモデルとした画家である。感染のリスクは高かっただろうとは思ったりもする。しかしマネは妻帯者だったはずだし、モデルで絵画技法を教えたベルト・モリゾエヴァ・ゴンザレス等との間にも関係があったという話もあったりする。後にモリゾはマネの弟と結婚してるし、ただの噂のような感じもしないでもない。美術史家の本でも関係ありとする人もいれば、女流階級のモリゾがマネと二人きりになる機会はないとして否定的な説を唱える人もいる。それに対してエヴァ・ゴンザレスはかなり深い関係だったという話をよく聞く。
 まあなにを言いたいかといえば、下世話な想像として、マネの病気はモリゾやゴンザレスに影響しなかったのかなとか。本当に下世話な話だな。ゴンザレスも別の男性と結婚したが34歳で死んでるし、モリゾもわりと40代で死んでたと記憶している。まあこのへんはどうでもいい話だな。
 とはいえ15〜19世紀頃のヨーロッパでは梅毒は多くの者が罹る性感染症だったようで、何かのサイトで読んだがルネッサンス期には「梅毒は美男美女の勲章」といわれていたとか。18〜19世紀にあっても芸術家でも例えば、ボードレールモーパッサンフローベールドストエフスキーなんかがこの病気で苦しんでいる。確かニーチェは最初の性交渉でこの病気に罹患し、以後彼はこの病気に苦しみながら思索を続けたとかいう話だったとこれも何かで読んだ。超人思想を生んだのは梅毒の悩みだったとか。マネと同じ画家ではゴーギャンもまたこの病気を抱えていたとか。タヒチでの生活で彼から感染した女性も多かったかもしれない。
 高尚なはずの絵画鑑賞の話がなぜに下世話な性感染症の話に落ちていくのか。自分のお下劣な心性によるものか。
 まあそれはそれである。この企画展、たしか5月の連休明けくらいまでやっているはずなので、もう一度くらい行ってみたいものである。