歯医者へ行くことにする

 地元の歯医者で昨年の夏前だったか、左下4番の歯が横に生えているのだが、これを抜いたほうがいいと言われた。この歯と両側の歯もみんな虫歯なのだが、この三本が疲れた時や調子の悪い時に、盛大に痛み出す
 横に生えている歯は、常に舌に触れるので、まあ何十年ものことだから慣れているといえばそうなんだが、それでもいつも舌に触れている感じがして常に口の中に違和感を感じている。簡単に抜けるのであればいいのだが、地元の歯医者に言わせると、この歯は両側の歯に挟まった状態なので、そう簡単ではないようで、大学病院への紹介状を出すので、そこへ行って抜いてもらうようにということだった。大学病院は比較的近い明海大学だったか。
 すぐに行けばよかったのだが、大学病院というと身構える。おまけにかれこれ30数年抜歯などしたことがないのだから。なのでそのまま放置してしまった。そうもう半年以上放置中。
 暮れから年明けにかけて、この横に生えた歯と両側の歯を中心にけっこうひどく痛み出した。ちなみに両側の歯はいずれも神経をとっているので、歯の根の部分で炎症を起こしているのかもしれない。このままではいかんとも思ったが、半年以上前の紹介状を元に大学病院で診てもらうことができるのかどうか。
 そこで大昔、二十代から四十代にかけて通っていた都内の歯医者へ行くことにしようと思った。ここはもともと信濃町にあり、さらに池袋、新宿、熊谷とかなり手広くやっている。記憶ではここの院長だかが新書を出していて、歯根治療をやるというのを読んで診てもらおうと思ったんだと思う。二十代の頃はかなり虫歯に悩まされていた。その頃に前歯を集中して直したのだが、結果として前歯の上側はほとんどが差し歯になってしまった。
 そんな状況だったから、正直六十になる頃には総入れ歯になっているんだろうなと漠然に思っていたりした。なので信濃町に通い始め、歯根治療をしてもらったり、高校生の頃に入れた差し歯をやり直してもらったりと集中して治療を受けた。それからしばらくはそこに行かなくなったが、埼玉に引っ越した四十くらいから、会社と家との間にあるということで池袋の診療所に通った。自分だけでなくカミさんも紹介してここに通った。今でも覚えているが、カミさんは一歳くらいの子どもを連れて車で通ったこともある。治療を受けている間に窓口の若い女性に抱っこされていたりとか、待合室をちょこまか走り回ったりしていた。
 信濃町の診療所では三十になった頃だったか、奥歯の間にほとんど歯茎に埋れた親不知を抜いた時のことを未だに覚えている。本当に歯の先っちょだけが見える程度の歯だったので、当然歯茎を切開した。さらに顎の骨をヤスリで削るようなこともされた。脳に響くようなゴリゴリという音の記憶が蘇ってくる思いだ。
 さらにいえば、この歯を抜いた日はちょっとした会があり、当然アルコールも出るものだった。そこで医師にこれから会に出るのだけど、酒はどうかと聞いた。医師は少しくらいならと言った。今思うと抜歯したその日のアルコールなどあり得ないので、勘違いだったのかもしれない。
 そして軽めの酒を飲んだ翌日から顔が倍になるくらいに腫れた。医師もえらいこと心配していろいろと消毒とかしてくれた。腫れがひいてから、医師も助手の女性陣もみんな腫れが酷いので心配したという話をした。その日に酒を飲んだと言うと、「それでか、それじゃ腫れるな」と笑いながら話した。内心、おいおい少しなら飲んでもいいと言っただろうとも思ったが、口に出すのはやめた。
 そういうもろもろの記憶はあるが、技術や治療方針には信頼が置ける。正直、この年までほとんど自分の歯でいられるのは、この歯医者のおかげかもしれないと思うことがある。後はブラウンの電動歯ブラシのおかげかもしれない。
 今回は奥歯の治療として三本、さらに両側の一番奥の歯のそれぞれ歯周ポケットが深く、これをなんとかしないといけないということがあるらしい。相当な治療費がかかりそうだという。さらに治療期間もおそらく数ヶ月はかかるとも。還暦過ぎでそんなに手間暇、費用をかけてもと思わない訳でもないが、まあ保険が使えるうちにきちんと治療をするのは必要だろうとも思う。都内まで通うので仕事にもそれなりに影響あるかもしれないが、立場的には比較的に時間は自由にできる。
 とりあえず徹底的に治療を進めることにする。