TSUTAYAで借りてきた。
米国の女性歴史学者でホロコーストの研究者が、ホロコースト否定論者から名誉棄損で訴えられ、法廷で闘った話である。訴えられた研究者はアメリカ人であり、否定論者はイギリス人であり、舞台となる法廷はイギリスである。
通常、名誉棄損は訴えた側に挙証責任があるのだが、イギリスはなぜか訴えられた側に立証責任がある。研究者と出版社(ペンギンブックス)は大弁護団を構成して裁判に臨む。
否定論者はこういう。「ホロコーストはなかった。なぜならヒトラーはユダヤ人虐殺の命令書を書いていないから」。これは日本の歴史修正主義者の論法そのままだ。
そして同様に現在の日本の政治状況にもまったく当てはまる。
「ホロコーストはなかった。なぜならヒトラーはユダヤ人虐殺の命令書を書いていないから」
「森友加計問題に総理も夫人も関係していない。なぜなら総理が指示したという証拠がないから」
安倍政権は森友加計問題の疑惑をすべて否定し、挙証責任は疑惑を論う側にあるとする。疑惑の否定に対しては、「〇〇が一点の曇りもないと言っている」といった類の伝聞や、「妻の疑惑については夫の私がないと否定している」といったおよそ証明にならない言い切りだけである。
さらにいえばホロコーストや戦前の日本軍の行ったことの証明が難しいのは、ナチスドイツが、大日本帝国が、戦争末期から敗戦残後に、徹底した資料、記録の焼却を行ったからである。記録がないため、犯罪的行為の立証が困難になる。すると否定論者は何も記録がない、要するに犯罪的行為などはなかったのだと言う。
これもまた現在進行形の話にも出てくる。森友学園問題では財務省が公文書の偽造や廃棄を行った。記録を改竄し廃棄してしまえば、行った不正自体がないものとされるのである。
映画は実際にあったことに基づいている。裁判は結果としてホロコースト否定論者の敗訴に終わる。ある意味ハッピーエンドだ。しかし否定論者は敗訴の事実を受け入れることなく、ホロコーストがなかったことを、ヒトラーがなにも悪いことをしていないということを信じ続けている。なにも変わらない現実が続く。そしてまた第二、第三の否定論者がホロコーストはなかった、ヒトラーはユダヤ人虐殺を命令していないと言いつのるのである。
関東大震災時の朝鮮人虐殺、軍隊による強制された従軍慰安婦、南京大虐殺についての言説のように。
この映画については、映画評論家町山智浩の解説が詳しい。