男の出発

男の出発 [DVD]

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  • ゲイリー・グライムズ
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 いわゆるニューシネマの部類に入る新感覚の西部劇である。70年代、けっこういろいろな人がこの映画を褒めていたのだが、ついぞ観る機会を逸してきてしまった。少年がカウボーイに憧れ、牛追い(キャトルドライブ)に加わり、牛追いの仕事を覚え、それへの幻滅、挫折感を抱くみたいなお話である。美談として描かれることが多かった50年代、60年代の所謂西部劇の終焉後に、実際はそんなキレイ事じゃないんだよという風に、リアリズムに基づいて描かれた一群の西部劇の一つでもある。
 途中、馬泥棒や地主の対立でもいきなり殺伐とした殺し合いとなり、まさに銃がすべてを解決する時代なのだということを否応無く描き出している。出てくる男たちも無学な荒くればかりであり、そこにはジョン・フォード的な情緒はまったくない。こんな風に牛追いだけで生涯を賭すとなれば、多分ろくな人間にはならないだろうし、多分ろくな死に方しないだろうなと思っていると、案の定本当にあっさりと殺し、殺されてしまう。
 なんの感慨もないし、たいていの場合は、牛や馬を巡る欲得による撃ち合いの果てである。もともとカウボーイたちは社会の最下層の人間、馬に乗れ、銃が撃てれば、あとは何も必要がないような連中なのである。そこに男の美学だの、かっこ良さなど介在する余地もなく、彼らに憧れて牛追いに加わった少年もすぐに幻滅を味わうことになる。
 さらにいえばだ、牧童頭に頼み込んで加わった少年の仕事はコックの助手であり、そのアダ名はリトル・メアリー、周囲から蔑まれるような仕事である。ここでリトル・メアリーという女性名がつけられるのがどうにも引っかかった。男だけの牛追い集団の中で女性名のアダ名をつけられ、料理や雑用を一手に引き受ける。ただの小僧で良いのになぜ女性名なんだ。
 頭に浮かんだのは、コックの助手で少年は、男たちの集団の中では男娼のような存在にならざるを得ないのではないかということだ。こういう見方をついしてしまうのは、多分アン・リーのゲイをテーマにした西部劇「ブロークバック・マウンテン」を観て以来かもしれない。あの映画については、町山智浩や特に内田樹の文章を読んで以来、ある意味西部劇の見方が一新されてしまったようにも思う。それについてはすでに何度かこの日記でも書いたり、彼らの文章を引用してもいる。
2012-12-04
 再度、内田の文章を少しだけ引用する。

『西部開拓史』でデビー・レイノルズが高らかに宣言したように「カリフォルニアでは女一人に男四十人よ!」というほどに開拓時代には性別人口比率が非対称でした。ほとんどのカウボーイは配偶者を得られるずに生涯を終えることになりました。だから、カウボーイというのは「男同士の愛」のあり方について研究する機会がきわめて豊かに与えられた職業だったのです。

 そうなのだ、カウボーイという男だけの世界にあって、女性との愛を得られる機会は乏しく、性の処理という逼迫の問題がついて回る。牛追い、ロングドライブにあっては、長く男たちだけで閉鎖された旅を続ける。愛に飢え、それ以上にセックス処理という問題を抱えた男たちは、ある意味暴力的にそれを解決していたのではないかとこれは想像だ。それはそのまま現代でも刑務所内でのレイプ等ともつながっている。
 コックの助手がなぜリトル・メアリーなのか、それは多分に男娼を意味するのではないか。男たちのすべての性を対象となるのか、あるいはボスの専属となるのか、そのへんはわからない。けれども意味深な呼び名とともに、なぜ役にもたたない少年を同行させるのかについての疑問と共にこの映画は実はとても暗示的にアンチ西部劇として構成されているのではないかと、そんなことを思わざるを得ない。
 そうなると邦題の「男の出発(たびだち)」が随分と皮肉なタイトルなのではないかと思ったりもする(原題THE CULPEPPER CATTLE COMPANY-カルペッパー・カウボーイ商会)。
 主演のゲイリー・クライムズは、我々オールドファンからは「思い出の夏」で美しい人妻(ジェニファー・オニール)を慕う少年ハーミーを演じていたのを思い出す。気弱な少年というキャラクターは今回の映画でもそのままだ。その後どんな俳優になったのかと思ったのだが、彼は70年代の後半には引退してキャリアを強制的に終了させてしまったようである。気弱なキャラで神経症的な大人の役柄などでけっこう活躍する機会はあっただろうにと思わない訳でもないのだが、やはり「思い出の夏」でのイメージが定着してしまい、うまく脱することができなかったのかもしれない。
 「男の出発」についていえば、やはりこの映画は70年代のどこかで観るべきだったのではないかと思う。2010年代に観るべき映画ではないな。まして西部劇についていえば、「ブロークバック・マウンテン」以後はどうしてもゲイ文化との兼ね合いで斜めに観る意識が働いてしまっている。そういう意味では「ブロークバック・マウンテン」の衝撃というのは大きいものがあると思う。あの一作でアメリカ映画の詩情豊かなロマン、西部劇の幻想は、ガラガラと崩されてしまったのだから。個人的にはあの映画は好きなタイプではないが、自分が書いた感想をもう一度リンクさせておく。
『ブロークバック・マウンテン』を観る - トムジィの日常雑記