スーラと北斎

 まず最初は昨日と同様に「北斎ジャポニスム」。北斎の浮世絵もさることながら、比較される西洋絵画の質量も半端ないと改めて思う。いつか観たいと思っていたロートレックの「ムーランルージュ」とかも観ることができた。これはサントリー美術館所蔵だという。
 モネ、ゴッホゴーギャン、ドニやボナールといったナビ派、さらにロートレック等が浮世絵を収集し、その構図や表現を嬉々として取り入れていったのはわかるのだが、点描に実験的絵画を描いたスーラにもその影響があるということで並列展示されていたのがこの二点。
 
 北斎の「推し送り波濤通船の図」はあの有名な神奈川沖よりも以前の作品だが、強調された波の表現は神奈川沖そのままである。これと構図が近似しているのがジョルジュ・スーラの「グランカンのオック岬」。構図そのままに波を岬に置き換えて見事に表現している。
 スーラはその計算された点描による色彩表現の一環として額縁を同じ点描で描いているのが特徴でもある。人によってはあまり効果的ではないという人もいるのだが、彼の実験精神として評されることがある。今回、スーラと北斎の並列展示でよく観てみると、北斎の絵にも同じような額縁の表現がある。そうなのだ、スーラは北斎のこの絵の表現を参考に、自らの絵にも額縁を描いたのだ。正直にいうとこれに気がつかなかった。横で観ていた中年のカップルの男性の方が、スーラの額縁はあまり極まってないんだよなと相手に話していて、北斎の絵を観たとたんにに「これか、これを真似したのか」と少し声を高くして言った。でもこれって文献とかには載ってないんだよとも付け加えた。かなりの美術愛好家あるいは先生なのかもしれないなと思った。
 スーラの額縁に関してはいろんな研究家が評している。今、手元にある高階秀爾の『続名画を見る眼』にもスーラを評した章にこんな解説がある。

なお、序でに言えば、点描のシステムに移って以後、スーラは、たいていの場合、作品の周囲に(時には額縁の上に)ぐるりと点描の帯を描くようになった。この「グランド・ジャット島」でも、作品完成後一年ほどしてその帯が描き加えられているし、習作の風景(挿図)の場合は、それが完全に額縁の上まで及んでいる。このことは、作品を「自然に向かって開かれた窓」と考えたモネとはちょうど正反対に、スーラがそれを現実世界から切り離された独立した小宇宙と見做していたことを物語るものであろう。『続名画を見る眼』P87

 西洋美術館の館長もされた高階先生をしてもスーラの点描による帯と北斎との連関への言及はない。あるいはスーラの単なる模倣という考えを持たなかったのかもしれない。しかし北斎からの構図の換用、その絵にもある効果を狙った帯との相似。北斎とスーラの関連性に言及した論文なり批評も多分あるのではないかと思うが、2点を並列展示することで何かストンと落ちるものがあった。
 そういう点を別にしてもスーラのこの絵は例によって静的である種の抒情性に溢れた作品だと思う。北斎の強調された波の図のダイナミズムとは対極の雰囲気だ。同じ構図を換用しながら、100パーセントそれを消化してオリジナリティを発揮させたのは、凡庸に一言でいえば才能ということになるのだろうと思う。